ジェンダー論においては、女性が積み上げた成果を、男性が掠め取っていくのではないかという懸念は以前からずっとありました。だから、井上輝子先生は、女性学を「女性を考察の対象とした、女性のための、女性による学問」と定義したわけです。
俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係を友達と勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラスで映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった) 大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。 なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。 俺は高校も大学も友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自
自分は男性であり階級で言えば2級の重度障害者だが特定除けとして障害名は伏せる。 自分はいわゆる障害者枠で一般企業で就職している。5年以上はいると言っておこう。 そこでとても強く感じるのは女性からは男性いや人間ですら見られていないという事だ。 質問したり仕事に関する話ならそれは普通に問題ないのだがこれ以上は絶対にないと言っても良いほど無いのだ。 雑談は自分から振れば始めることは出来るのだが、女性から雑談を持ちかけてくることはあまり覚えてないほど数少ない。 男性なら向こうから積極的に話しかけてくる人はいるし、他愛のない話もよくするからこの差は何なんだろう?と思った。 同性同士なら話しやすいとはいうけれど、例えばエレベーターで女性の職員と乗り合わせても無言なのに 他の男性職員が乗り込むとその女性職員が急にハキハキと喋り出すのを見て、俺は最初から存在していないのだなと悟った。 これだけではなくSN
リベラルポイントとはポイントが高いほどより良く、正しいリベラル派となるポイントが低ければ非リベラル派であり、批判されるべき対象である 加点条件リベラルポイントが低い人(組織や国でも可)を批判する 賛同・拡散した人のリベラルポイントが高いほど、加点される点数も高い賛同だけでも少しポイントが入る 減点条件リベラルポイントが高い人に批判される 例1) 森喜朗批判内容ブーメラン問題Twitterの発言やニュース記事を見ていると、頭にブーメランが刺さった状態で発言している人をたくさん見る 性別蔑視を問題としているはずだが、批判内容に性別・年齢等の蔑視が含まれている失言に対して「辞任は当然」「辞任しても終わりではない」等の批判をした場合、過去の失言時の対応を掘り起こされる 「沈黙は賛同」 汎用性が強くて危険すぎるので、禁止ワードだと思うんですけど 例えば広河隆一や箕輪厚介への批判と今回の森喜朗への批判
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