ハーッジ・ムハンマド・アミーン・アル=フサイニー(hājj Muhammad Amīn al-husaynī, 1895年 - 1974年7月4日)は、パレスチナのアラブ人で、汎アラブ主義者。エルサレム大ムフティー、最高ムスリム評議会(英語版)議長、全パレスチナ政府(PLL)大統領、パレスチナ民族評議会議長。 父のムハンマド・ターヒル・フサイニー(英語版)、兄のカーミル・フサイニー(英語版)もエルサレムの大ムフティーであった。ハジ・アミン・アル・フセイニと表記されることもある[1]。戦前の日本の新聞ではフッセイニ師とも表記されていた[2]。 兄のカーミル・フサイニー、1921年以前 エルサレムの有力な名家・フサイニー家の出身。第一次世界大戦時はオスマン帝国軍に入隊。戦後は、大シリア主義構想の熱烈な支持者となり、現在のシリアの地に建国された大シリアの王ファイサル1世の傍で活躍した。しかし、サ