ブックマーク / evenfall.org (7)

  • 小説と土地 - トンボロ

    映画および原作小説『海炭市叙景』をきっかけに、小説が書かれる舞台について考えをめぐらせた。ある土地に暮らす人々の群像劇を書くためには、先に、その土地についての描写が必要となる。佐藤泰志の出身地である函館をモデルとした海炭市には、炭鉱があり、港があり、市電が走っている。海峡に突きでた山は、かつて海に浮かぶ孤島だった。市街地はその島へと続く砂嘴の上にある。このような地形は「陸繋砂洲」または「トンボロ」と呼ばれる。 今、満夫が立っている場所は砂嘴だったのだそうだ。何千年か何万年かは知らない。とにかく想像もつかない厖大な年月をすぎて、砂や石が海底に堆積し、陸地としての姿をあらわし、海の中にぽつんと孤立していた島と繋った。その島は、今ではなだらかでふっくらとした山であり、砂嘴の上に作られた海炭市の、ほとんど、どの通りからも眺めることができる。 (佐藤泰志『海炭市叙景』 第一章 3 「この海岸に」)

    toomuchpopcorn
    toomuchpopcorn 2011/02/10
    『再構成』という言葉が浮かんだ(ありきたりかもしれないけれど)。作者自身を取り巻く一つ一つを、取り上げ吟味しながら配置していたのかなあ。
  • 平民新聞 - トンボロ

    敬愛するブログ「平民新聞」の平民金子さんと会った。書きたいことが有りすぎて上手く整理できないけれど、拙いながら書いてみようと思う。 初めて平民新聞を読んだのは2008年1月21日のことだった。はてなブックマークの新着記事から見つけた、「エノキ炒め」という記事に衝撃を受けたのを覚えている。ブログには何を書いても自由なのだと目が覚める思いだった。ブログの更新を毎日追いかけるようになり、「と私」、「カレーの一生」、「残雪遊覧日記」といった素敵な記事を立て続けに読んだ。いずれも僕にとっては写真やブログについての考え方を覆すものだった。 当時の僕は少なからず平民さんと似通った生活をしていて、料理にはカセットコンロを使い、風呂の無いアパートに暮らしていた(今も住んでる)。こういう生活している人は僕のほかにいるんだろうかと閉塞感を持っていたときに、平民新聞を知って、世界が一挙に広がったように思われた。

  • 鉄塔634年 - トンボロ

    久々に書いてみた短編小説のようなもの、推敲せずに載せる4129字。 1 維管束を流れる液体に惹きつけられた昆虫たちが、枝葉をつたって上空へ向かう行列を作る。昆虫を追いかけて長い虫取り網を持った子どもたちが長い階段を昇り始める。子どもらに連れられて私も階段の入り口に立った。来は非常用に造られたらしい階段には、落ち葉が厚く積もり、滑り止めのために据えられた横木が、錆びた金具で留められている。目前の景色だけを見れば、さながら登山道のようだった。深い緑のなかにあって風はなく、私たちのほかには歩く者の姿もない。 手摺りには蟻たちの行列が上へ続いており、何かの小さな破片を運んでいる。クロアゲハが羽ばたきと滑空を繰り返しながら昇って行く。子どもの追いかけるオオクワガタは未だ見当たらないが、落ち葉の陰などに身を潜めながら、鉄塔の先端を目指して歩いているに違いない。 鉄塔が、幹と枝とを大きく上に広げること

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    toomuchpopcorn 2010/05/15
    鉄を想起させる、がっちりしっかりリジットな文。
  • 海から - トンボロ

    埼玉県志木市から東へ向かった、年末年始の四日間の記録。 小料理屋に入ってラーメン半チャン定を頼み、日レコード大賞を見ながら、茶碗に盛られたチャーハンをった。旨い。 手賀沼公園に泊まった。眠れない夜が明けると、人々と鳥とに、テントを囲まれていた。 利根川の堤防に上がり、河口を目指して走った。このあたりは縄文時代の海面上昇期に古鬼怒湾と呼ばれる海の底だった為、平坦な地面が広がっている。現在も、海から74kmの地点では、河床の高さは海水面よりも低い。堤防がいったん切れてしまえば、水は一帯を被いつくして滞留するだろう。利根川の両岸には幾つもの「水神社」を見たけれど、関連はよく知らない。この日は、遮るもののない平野を渡ってきた強風と、青空から一転して急に降りだした冷たい雨に悩まされた。 川の流れる風景は、けっして優しくはないのに、いつも川に惹かれるのは、何故か。 大晦日には人の気配

    toomuchpopcorn
    toomuchpopcorn 2010/01/06
    冬の空、という感じがすごくする。
  • 仕事 - トンボロ

    仕事20091125 今年は、大学に休学届を出して、自転車屋のバイトを始め、さらにはカメラマンに転職するなど忙しい年だった。流されているといえば流されていて、自分の意思なんてものは多分無く、ただ、計画性なしに機材を買い揃えたりしている。理想の異性がいないように理想の仕事も無い、というか理想を持っていない、あるいは常に修正され続けている。だから仕事を続けるかどうかは考えないことにした。 今は、関東地方のどこかで、ブライダルフォトを撮っている。格好つけずに言えば婚礼写真だけど、格好つけることが仕事だから仕方ない。

    toomuchpopcorn
    toomuchpopcorn 2009/11/25
    ブライダルフォトとしての手の写真。結びつきを象徴するいい視点ですね。全然関係ないのに、なぜか文と写真がリンクしているような気がします。
  • 多分 - トンボロ

    toomuchpopcorn
    toomuchpopcorn 2008/12/22
    人と人との関わりはむずかしいです。私の場合、いつも読ませてもらってありがとう、という感じです。
  • http://evenfall.org/tombolo/2008/09/12/358

    toomuchpopcorn
    toomuchpopcorn 2008/09/14
    「到達しようとしている場所の在り処を知ることもない」 それでも誰かが『走って』いるのを見ると、自分の感情がぐらぐら揺すぶられます。うまく説明できませんが。
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