ブックマーク / kfujiiasa.hatenablog.com (33)

  • 司馬遼太郎さんの随筆⑦播州の国 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    司馬遼太郎全集に収録されている随筆のなかに、昭和41年の「日読書新聞」に掲載されたという「播州の国」という短いエッセイが収録されている。 よく知られているように司馬さんの家は数代前まで播磨国(はりまのくに・兵庫県)に住んで居られたそうで、記憶を振り返るとこの事は何度か司馬さんの文章のなかで出逢った気がしている。 また黒田官兵衛を主人公にした作品「播磨灘物語」をみても司馬さんが播州・播磨国に愛着を持たれているのは間違いないように思われる。 播磨という個性的な名前は調べてみたがその由来には決定打が無いようである。古い記録には針間国と表現される例もあるらしい。 私も昨年兵庫県の内、播州の東外れに越して来て早1年半になろうとしているが、先日永年播州地域に住む中学同級生からLINEで「あなたが播磨人になったと実感しました」とあり少々嬉しく面映ゆい感じがしたのだが、私自身は半世紀近く住んだ大阪人でも

    司馬遼太郎さんの随筆⑦播州の国 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/12/04
  • 山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など⑤亀山公園山頂広場 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    帰りの新幹線の時間を見計らい、同級生に連れて来て貰ったのが山口市亀山公園山頂広場、山といっても小高い丘のようでもある。登ってみると360度の眺望で防長二州の中心が見渡せ、地形や地勢からこれは城跡ではないかと思わせた。 山頂への途中の紅葉 帰宅して山口市の案内などを調べると、「毛利秀元が長山城(当時の地名)として築城しようとしたが途中で断念した」とある。思い当たる節があり長府藩祖・毛利秀元を更に追跡して以下のことがわかった。 毛利宗家を継いだ毛利輝元(毛利元就嫡孫)には当初子がなく、幼少より英明を謳われた元就4男元清の子・秀元が輝元の後継者として指名され養子となった。 その後輝元に実子が誕生、秀元は身を引くことになり時の権力者・秀吉の指示もあり別家を立てることになった。紆余曲折のうえ慶長4年(1599)当時の毛利の所領120万石のなかから周防吉敷郡(現在の山口市の大部分)を含む17.8万石が

    山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など⑤亀山公園山頂広場 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/12/02
  • 山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など④菜香亭の書 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    大会を終えて、同級生に山口市にある「菜香亭(さいこうてい)」に連れて行って貰った。明治時代に山口の迎賓館と呼ばれた料亭で元々別の場所にあったが、廃業を惜しんだ市民の請願で、現在地に観光や市民交流の場として移築公開されたものであるらしい。 広間より庭をみる 私が書に多少の興味を持っていることから連れ出して貰ったもので、歴代総理大臣などの要人の書の扁額多数が百畳の大広間に掲げられれいる様はまさに圧巻である。 ちなみに由来を読むと「菜香亭」と命名したのは長州出身の明治の元勲・井上馨で、当時の料亭主人の名・斉藤幸兵衛の斉と幸の音を使って名付けたそうである。 扁額は30余り有り全ては載せきれないので、ここでは長州出身の明治の元勲や総理大臣に絞って載せさせて貰うことにした。 1、木戸孝允 「清如水平如衡」(きよきことみずのごとくたいらかなることはかりのごとし) 清廉ではかりのように公平を期す 2、伊藤

    山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など④菜香亭の書 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/12/01
  • 山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など③発表内容 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    記念大会のテーマ『萩藩「一門」研究の新展開』の発表内容については専門的内容が多く濃いため、ここでは発表された六つのテーマについて簡単な紹介に留めさせてもらうことにした。 (尚一門家についての基礎的なあれこれは11月28日のこのブログを参照下さい) 1、三丘宍戸家・右田毛利家、萩藩一門が用いた文書とその色ーーー山崎一郎氏(山口県文書館) 萩藩が紙の公私を区別するためや、私的流用を避けるために始めた公用紙を黄紙とすることが一門に広がり、各家独自の色付き紙の使用の実態と用い方にみる考え方が追跡されている。 2、厚狭毛利家、「厚狭毛利家文書」ーその保存と活用をめぐってーーー山明史氏(山口県文書館) 私も活用させて貰っている文書がどの様な経緯で保存されるようになったかを追跡されている。 特にこの中でこの文書が地元に移管される経緯を書いた郷土史家の手記が「文書館ニュース」という媒体に掲載され、ネット

    山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など③発表内容 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/11/30
  • 山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など②大村神社 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    記念大会聴講の前日、中学同級生の案内で長州藩の明治維新立役者のひとり大村益次郎の生地に、人を祀って建つ大村神社に連れて行って貰った。 少しおさらいをすると大村益次郎は周防国(すおうのくに)鋳銭司(すぜんじ)村(現山口市)の村医者の子として生まれ、家業の為弘化3年(1846)大阪の緒方洪庵の適塾に入門、塾頭まで務める。その他漢学等と併せ後に宣教師ヘボンのもとで英語数学なども習得した。 (余談ながら鋳銭司とは古代の銭貨(和同開珎など)を鋳造する役所があった場所を指す) 嘉永6年幕末四賢侯のひとり伊達宗城の宇和島藩に出仕、兵制改革、砲台築造、蒸気船建造などに従事、またその縁で幕府講武所教授にも就いた。 万延元年(1860)桂小五郎(木戸孝允)などの斡旋で故郷の萩藩毛利家に召し抱えられ、慶応2年(1866)萩藩の軍事全般を所管する「軍制御用掛」に登用され、同年の四境戦争(長州征伐)の指揮を執り、

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    toriburo 2023/11/29
  • 山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など①一門あれこれ - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    専門外ながら入会させて貰っている山口県地方史学会の70周年記念発表会が11月26日に山口市の県立図書館で開かれ、そのテーマが私が追跡している厚狭毛利家を含む、『萩藩「一門」研究の新展開』ということもあり、是非にと思い聴講に出掛けてきた。 またこの機会に山口県在住の同級生に案内して貰い山口市近くの史跡を訪ねたことと併せて数回に分けてブログに書くことにした。 最初の回は発表会のテーマで、一般にはあまり馴染みの無い萩藩・毛利家の「一門」について、根みなみ著『近世大名家における「家」と「御家」萩毛利家と一門家臣』清文堂刊などを参考にしながらおさらいの意味で要点を書いておきたい。 関ヶ原合戦後長門・周防二ヶ国を与えられて成立した近世の大名家である萩毛利家は、成立の時期は前後するが同族で末家と称される分家大名三家・長府藩、徳山藩、清末藩、を支藩として抱えていた。 これらは萩藩が幕府に願い出て成立した

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    toriburo 2023/11/28
  • 「女性差別はどう作られてきたか」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    政治学者・中村敏子著「女性差別はどう作られてきたか」集英社新書 刊を読み終えた。 私にとってこのようなジャンルのを手に取るのは全く初めての試みなのだが、次回の放談会のテーマが「ジェンダー」であり、一度くらいは関連するに目を通しておかねばという気持ちもあった。 このは題名の通り西洋世界や日で女性差別が形作られる経緯を追いかけ日の女性差別をどう克服するかまでを語っている。 このを読んで一番驚いたことは西欧世界の基的な理念であるキリスト教が歴史的にみた場合の女性差別の根源にあるということであった。 少し長くなるが、私なりにこのの論点を要約すると以下の通りである。 旧約聖書のエデンの園でのアダムとイブの原罪行為が女性は男性の支配下にいるべき者などとされる解釈の源にある。 近代社会成立のきっかけである宗教改革や政治革命は、男性は自由で平等な「個人」となる一方で女性は家族の中に取り残さ

    「女性差別はどう作られてきたか」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/11/27
  • NHKスペシャル混迷の世紀「世界"債務危機"は止められるか」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHKのドキュメンタリー「混迷の世紀」は直近の国際的な問題点や課題をテーマにして掘り下げる調査報道番組である。 今回のテーマは「世界"債務危機"は止められるか」という題であり、ウクライナやパレスチナなどの目に見える国際的な危機の裏で目に見えにくい、債務不履行・デフォルトへの危機が進行しているという視点である。 アメリカを始めとする先進国の長期にわたる緩和マネー供給から、一転した昨年からのインフレ対策・金融引き締め金利上昇が、途上国からの資金の逃避を生み、IMF・国際通貨基金のまとめによると既にデフォルトに陥っている国が3ヶ国、警戒を要する国が34ヶ国もあるというのは正直言って驚いた。 この構図は1997年タイに始まった通貨危機に非常によく似ており画面を観ながらついその当時を思い出してしまった。 海外工場の仕事をしていた折、各国の混乱を目の当たりにし、例えばインドネシアでは通貨ルピアの下落で

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    toriburo 2023/11/25
  • 芭蕉「旅に病で」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    先日大阪・御堂筋にある南御堂に用事があり、境内庭園の芭蕉の句碑を紹介した。芭蕉は元禄7年(1694)生地・伊賀上野から奈良を経て大阪に着き体調を悪くする。 門人達の手で病床を当時南御堂前にあった出入りの花屋の静かな座敷へ移しそこで臨終を迎えた。その亡骸は生前芭蕉が愛した湖南の膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)境内に葬られた。 このような繋がりから南御堂では毎年芭蕉忌(旧暦10月12日)には句会が催されているらしく、以前受付の方に芭蕉のことを尋ねたところ筆者・山 唯一「南御堂と芭蕉」という小冊子を渡されており、この度読み返してみた。 そのなかに句碑になっている 旅に病でゆめは枯野をかけまわる について興味あることが書かれてあった。この句は芭蕉が亡くなる4日前の夜に詠まれたという。 ・芭蕉には文学への執着、詩人としての表現への強い意欲という妄執(?)があった。「旅に病で」と詠んだ後、芭蕉は「

    芭蕉「旅に病で」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/11/22
  • お土産の「調布(ちょうふ)」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    一緒に大阪へ行く用事があり岡山県倉敷市に住む娘が訪ねて来たが、そのお土産のひとつに岡山銘菓「調布」というのがあった。 「調布」という名は東京都内の地名で馴染みがあったが、菓子の名前で「調布」とは初めてで興味が湧きその由来を読むと以下のように書かれている。 『京都御所近くで菓子屋を営んでいた倉敷生まれの職人が江戸時代末期に創作した菓子で、その姿が税として朝廷に納められていた「調布」に似ていることから公家のひとりから名付けられた。 蛤御門の戦いの後岡山に帰った職人・間野氏は菓子屋を開き「調布」は今日まで岡山銘菓として愛されている』 大宝元年(701)飛鳥時代末期に制定された大宝律令に始まる律令制度の税は中学校の社会科にあるように「租・庸・調(そようちょう)」と呼ばれ、租は主として田んぼからの米、庸は都での労役、調は繊維製品や地方特産品である。 調の布すなわち「調布」は麻を基として1反が成人男

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    toriburo 2023/11/19
  • 「戦争まで/歴史を決めた交渉と日本の失敗」② - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    11月14日のこのブログの続き、 太平洋戦争に至る道程のなかで日が世界から「どちらを選ぶか」と問われた3回の重要分岐点について、なぜ日はより良き道を選べなかったのかを史料を読み込み考えるのがこの(若者への講義録)の著者の狙いである。 私は何度もこの道程に関する史料や書物を読んできた気がするが、特にこので新たな知識になったことや、新たな考え方で参考になったことの一部を絞り込んで書いておくことにした。 ①昭和6年(1931)満州事変後、国際連盟が事変の調査のため派遣したリットン調査団の提言。 ・従来このリットン調査団の調査報告は、事変は日の謀略で引き起こされ日非難に満ちたもので、それ故結果的に日が連盟を脱退、国際的に孤立するという理解であった。 ・然しその報告書は、満州からの日軍の撤退を勧告はしているものの、南満州鉄道沿線の駐兵を認め、例えば満州に於ける新政府の諮問委員の半数は

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    toriburo 2023/11/18
  • ウクライナ軍総司令官のインタビュー - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    ロシアの侵攻に始まったウクライナ戦争は、ウクライナ軍が反転攻勢を始めて5ヶ月近く経つがニュースを見る限り膠着状態に陥っているように見受けられる。 また新たに始まったイスラエルとパネスチナとの争いに世界が注目し、ウクライナは遠くに見えてしまうような気がする昨今である。 そんななか日経新聞にイギリス経済紙・「エコノミスト」の翻訳記事が「ウクライナ戦争、同じ技術ゆえの膠着」と題して掲載されている。同紙がウクライナ軍総司令官にインタビューしたもので、当事者ながら驚くほど率直な物言いで現状を述べてとても興味がある。 そのキーポイントは ・第一次大戦の時と同じく技術の進化が戦局を膠着化させている。(例えば攻勢に出た両方の側がドローンで捕捉され、攻撃用ドローンやミサイルの標的になる。敵の動きを全て把握出来るが敵も我々の行動全てを把握出来る。) ・ロシア側の死者は少なくとも15万人に達するが、通常の国であ

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    toriburo 2023/11/16
  • 戦国時代山口県の豪族・江良(えら)氏 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    先日の同窓会に郷土史の資料をハンドキャリーして貰った同級生の地元は現在の周南市鹿野(かの)で、その資料のなかに鹿野地域を地盤とした戦国期の豪族・江良氏の名前がある。 江良氏については2021年4月9日のこのブログに、『評伝「毛利元就」と周南・鹿野の江良氏』という題で一度書いたことがあるが、江良氏が、毛利氏に滅ぼされた陶(すえ)氏の家臣であったこともあり遺された史料は少ない。 最近偶然に、山口県文書館の専門研究員・和田秀作さんが講座で発表された「戦国時代の江良氏について~毛利氏との関係を中心に~」の資料を入手出来たが、その中にも今まで江良氏の専論が殆どないと書かれてある。 じっくり読ませて貰った内容で新たな知見になったポイントをこの機会に書いておきたい。 ・戦国期の江良氏は陶氏の最有力家臣のひとつで、中国地方の覇権を大内氏、尼子氏、毛利氏の三者が争った主要な合戦の殆どに従軍している。 (陶氏

    戦国時代山口県の豪族・江良(えら)氏 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    toriburo 2023/11/15