Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■
Roe Adamsがやったことの続き ■その(1) ■その(2) ■その(3) ■その(4) 上で全部読んでほしいのだけど、まあ自分の経験的にはこれをちゃんと読み直してくれる人は10%もいないので、ここでもう一度、ここまでの話を簡単にまとめておく。 Roe Adamsとは誰なのか? "Ultima IV Quest for Avatar (1985)"で、コンピュータゲームのシナリオ構造を決定的な形でプレゼンテーションした人物だ。 "Ultima IV"があまりに決定的だったので、以降32年、若干の調整があったことを除けば、シナリオの書き方は変わったことがないと言っていいほど完璧に近い形で「ゲームのシナリオはこうあるべき」とプレゼンテーションされた、という意味で、余りにスゴい仕事をしたと言って間違いない。 実際、"Ultima IV"のシナリオはグラフィックとメカニクスを今風にアップデート
8ビット時代の圧縮の話をブログに書いたところ、いろんな人が「俺も使っていた」とlzssについてゲロっているのを読んで笑ってしまったのだけど、ちょっとここで、つぶやかれていた質問「どうしてファミコン時代には圧縮がほとんど行われていなかったのか?」について書いておきたい。 初期のファミコンではキャラクタの圧縮は全くできなかった。なぜならキャラクタは別のROMとして搭載され、直にPPUがアクセスする形式だったからだ。 コレについて詳しく説明するのは面倒くさいので『ファミコンメガロムの開発とPCエンジンのアセンブラ』という、僕と『ZANAC』とかPCエンジンの『ガンヘッド』とか書いた広野さんの話のまとめでも読んでほしい。 ともかくPPU側がキャラジェネに直接アクセスする形式だったので、初期のファミコンでは圧縮はマップしかできなかったのだけど、これまた厳しい制限があった。 というのも、圧縮されたもの
1988年に初めてプロとしてハドソンでゲームを作れることになったとき、ハドソンではゲームを作るときデータ圧縮をするのが当たり前だった。 テキスト、グラフィック、マップ…ともかく圧縮できるものは全て圧縮するのが当たり前だった。 で「ウチは圧縮するのが当たり前になっているから、他よりゲーム規模が大きく出来てお得感があると思うんだよね」と(少々自慢気に)飛田さんが話していた。 確かにファミコン最初期の『ロードランナー』からして、普通に作ったのでは絶対に入らないはず(APPLEIIのディスク前提のゲーム、つまり128KBあるはずのものを16KBに移植している)なので、入れるためにはデータ圧縮になるよなあと思う。 だから、そこらへんの移植の経験から圧縮するようになったのだろうと想像していたのだけど、どうしてコレを始めたのかについての本当の理由がわからなくて、facebookでそこらへんを始めた頭目っ
2015年の騒ぎのときに黙っていた理由を説明する必要はないと思っていたのだけど、「エラく心配した」と、コミケでいろんな人から言われたので、簡単に説明しておくことにした。 実は騒ぎの理由になった怪文書(あれを記事と呼ぶ気はない)を見た日に「これは弁護士に相談しよう。可能なら名誉毀損で訴えよう」と決めていた。 そして次に決めていたのが、コレについては一切喋らない/反論しない、だった。 というのも、たまたま知っていたのだけど、名誉棄損の際、反論していると対抗言論になっている見なされ、名誉棄損は成立しなくなる可能性が高くなっていく。 そして、訴えると決めているのだから、反論していいことは何もない。 加えて、自分の立場は一部上場企業の執行役員で、個人ブログやtwitterで反論して会社に益するとは思えない。それどころか炎上リスクのある反論をするのは明らかに会社にとって有害だ。株主の利益にならないこと
今年もイロイロ面白いことがあった年だった。 …とか書く前にコミケの話。 ・新刊を思い切って増やしたら、結構余ったのでゲームレジェンドぐらいまでは余裕で売っているはずです。 ・Beepさんがどうしても置きたいというので、生まれて初めて同人誌を人さまの店に置いてもらうと思います。いつから置かれるかは知りません(;´Д`) というわけで、今年あったこと、来年やりたいこと。 ■裁判して勝ちました。 自分的最大ビッグニュース。 元AppbankGamesの社長、宮川が書いた記事を名誉毀損だと訴えて、名誉毀損で事実無根だと認められたこと。 元社長は該当の記事を書いた後も、ずっとエラそうにデタラメを書き続けていて、スゴくストレスがたまっていたので、ものすごくスッキリしました。 これで裁判のプロセスやかかる金・自分にかかる手間など、幅広く理解しました。めっちゃ役に立ちました。 ダメな内容が拡散されたら、イ
「これはひどい」と思う中傷をインターネットで受けたら、反論するのではなく、出来るだけ早く弁護士に相談するべきです。 なぜならインターネットではデタラメ言い放題で、しかもデタラメを言うのは簡単ですが、訂正するのは大変です。 おまけにこちらが訂正しても、相手はまたデタラメを重ねるだけで、ただの賽の河原です。 デタラメを言う側に圧倒的に有利なのがインターネットとSNSで、潔白を示すための道具や議論の道具としては機能しません。 しかも、何も知らないくせに尻馬に乗って叩きたいだけの人が現れるので、被害も甚大です。 裁判に訴えれば、インターネットは全く匿名ではなくなります。 プロバイダやサービスはログを持っていますから、手間はかかりますが、相手を特定することができます。 ただしログの保存期間には制限があるので、泣き寝入りするより、反論をして被害を大きくするより、まず弁護士に相談して「負ける可能性は低い
twitterで「スターソルジャー30周年ですね」と言われ「あっ」と思って、せっかくだから30周年を記念して、イロイロ野沢さんに聞いてみたら、まったく聞いたことがない話がいっぱい出てきたので、メモ書きとして残しておくシリーズ。 以下はリンク。 ■スターソルジャー30周年記念(1) ■スターソルジャー30周年記念(2) ■スターソルジャー30周年記念(3) このブログに来る人で、知らない人はいない気がするけれど、お約束的に『スターソルジャー』について書いておく。 『スターソルジャー』はハドソンから1986/6/13にリリースされたファミコン用の縦スクロールシューティングゲームだ。販売本数は約100万本。 第二回の全国キャラバンに使われたソフトで、高橋名人の16連射を印象付けたソフトでもある(第二回の全国キャラバンで人気が爆発することになる)。 また全国キャラバンがわからない人もいるだろうから
twitterで「スターソルジャー30周年ですね」と言われ「あっ」と思って、せっかくだから30周年を記念して、イロイロ野沢さんに聞いてみたら、まったく聞いたことがない話がいっぱい出てきたので、メモ書きとして残しておくシリーズ。 以下はリンク。 ■スターソルジャー30周年記念(1) ■スターソルジャー30周年記念(2) このブログに来る人で、知らない人はいない気がするけれど、お約束的に『スターソルジャー』について書いておく。 『スターソルジャー』はハドソンから1986/6/13にリリースされたファミコン用の縦スクロールシューティングゲームだ。販売本数は約100万本。 第二回の全国キャラバンに使われたソフトで、高橋名人の16連射を印象付けたソフトでもある(第二回の全国キャラバンあたりで高橋名人の人気がピークに達することになる)。 ところでwikipediaに書かれている『スーパースターフォース
■野沢さん これはかなり嘘が入っている。 本家テクモがスターフォースを売る予定があったとして、仕様変更て何? そんな仕様見た事もない。 名前が使えなかった可能性はあるにしても、私が開発してる時点でそんな仕様は知らんし、見た事もない。 そもそも、何言ってる? って感じですね。 まあ、スターフォースのイメージは気にしていたが、完全オリジナルだし、何言ってるか意味不明。 ハドソン版スターフォースがべらぼうに売れたので、自分たちが作ると意志表明があったため、ハドソン側は名前の使用を諦めたんだと思います。 私のところに来たときにはスターフォースの名前は使えないのが前提でした。 名前を決める企画会議があった事は覚えています。 まあ、コロコロコミック辺りの方は早めに入校する為に、訂正が間に合わんかったと思われ。 (前回書いたが、コロコロコミックで最初に『スーパースターフォース』でタイトルが出たのは86年
ゲーム開発しくじり先生ってまとめを読んで大笑いしつつもあるあるすぎて苦笑いしたりイロイロだったんだけど、それで思い出したこと。 書き忘れていたことなので、忘れないうちにメモっておく。 『イースⅠ・Ⅱ』の『Ⅰ』のボスで、ダームの塔に『コンスクラード』(スタッフの間での通称は「岩」だった)という大変に影が薄いボスがいる。 実際、パソコン版をプレイした人間にボスの話をさせると 「最初のボス」 、「ムカデ」、 「コウモリ」、「カマキリ」、「顔」、は出てくるが「岩」はたいてい出てこない。それどころか「岩」を忘れて「ダルク・ファクト」を入れてボスは6体だとか言っちゃう人もいるぐらいだ。 ビックリ難易度のカマキリと顔の間に挟まれて、直後が鏡の間で迷うし、攻略がスゴく簡単で、たいてい初めての攻略、運が悪くても2回目ぐらいで攻略できてしまうので印象が薄いのも仕方ないかな…と思えるボスなのだけど、実はPCエン
アーケードアーカイブスで『FLAK ATTACK』の配信が始まった。 これは実はアーケードで一度しかプレイできなかった、だけど、ある意味思い出深いゲームだったりする。 昔は新宿には山のようにゲームセンターがあった。 歌舞伎町だろうが西口だろうが東口のあたりだろうが、本当に山のようにあったのだけど、その中の一つ、西口あったのがバカでかいセガ系のゲーセン(スポーツランドだった記憶があるのだけど間違いの可能性が十二分あるので、記憶の定かな方のフォローがほしいところだったりする)。 記憶では冬にプレイしたので、87年の冬だったのだろうと思う。 このとき『魔獣の王国』と『FLAK ATTACK』をプレイしたのだけど… 『FLAK ATTACK』の売りが…これまた記憶に頼って書いているので間違いの可能性があるのだけど、ボスではなんと16方向に移動できるようになる!…というものだった(と、インストカード
●デススター撃破はそもそも無理な難易度で、普通は失敗する。 ⇒とてもムリなコトを成功するからヒーローだ。 ●体験は原理的には時系列に従うので一回性。だから死んでやり直しとかはありえない(死んだら「死んで終わった体験」が正しいことになる) ⇒これを死んでもやり直せる世界観を作ることで解決しているのが例えば"All you need is kill"だとか、トルネコ/シレンの「不思議のダンジョン」って仕掛けだったり、最近だと"シャドウ・オブ・モルドール"だったりする(ただしモルドールは時間が戻るわけではないのでさらにスゴい)。 ●ゲームデザイナーがユーザーに体験してもらいたいストーリーはもちろんデススターを破壊する ⇒100%成功するアイディア以外は、体験としては全部成り立たない。 つまり『ルーク・スカイウォーカー問題』 は、課金だろうが、100倍に速度を落とそうが、QTEだろうが絶対に失敗し
「どんな子供でも遊べなければいけない」 上のリンクは、『桃鉄(ファミコン版)』~『スーパー桃太郎電鉄(PCエンジン)』が作られていたとき、どんな風に桃鉄ができていったのか、何を考えていたのかについてのさくまあきら先生と桝田省治さんの対談だ。 自分がペーペーながらもゲームを作るプロの側に立った時の話で、 当時、ハドソンにリアルタイムでいて、飛田さんや和泉さんや中本さんや、ヘクターさんや、野沢さんや、いろいろな事を思い出してしまう話が満載で、本当に懐かしく読んだ。 で、桝田さんとさくま先生が対談の中でさらっと触れている、僕の目の前でどんちゃんが 『凄ノ王伝説』を プレイしたことは絶対に一生忘れない出来事で、以降のゲームの作り方に決定的な影響を及ぼしている。 街の人と話をしてもすぐに忘れる(本当にすぐに忘れるが、忘れさせないようにする技法やメモさせる技法もさくま先生から教えていただいた)、同じ間
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