前回は第一回目の朝鮮出兵である「文禄の役」の概略を書いた。 この戦いは陸戦では多くの朝鮮民衆が日本軍を支援して連戦連勝で勝ち進んだが、船の進路を阻まれて補給路を断たれて前線が孤立し、さらに前線の食糧倉庫を焼かれてしまったために一旦漢城に戻って体制を立て直すのだが、そこでも日本軍の食糧倉庫が焼かれてしまい、窮した日本軍は和平交渉に入るのだが、日本側の和平交渉を担当した小西行長と小西如安が早く交渉を終えるために偽りの降伏文書を作成したことが後に発覚し、秀吉が激怒する。秀吉は直ちに第二次朝鮮出兵を命じ、第二次朝鮮出兵と言われる「慶長の役」が始まるのだ。 第一回目の「文禄の役」は明の征伐が目的であったが、「慶長の役」は朝鮮征伐が目的であった。諸将に発せられた慶長2年(1597)2月21日の朱印状(『立花家文書』等)には「全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。」「これを達成した