ブックマーク / tentative-psb1981.hatenablog.com (20)

  • ゴジラ-1.0と戦後民主主義(あるいは誰も死なない戦争) - カテジナ日記

    過去のゴジラシリーズが意識的ないし無意識的に向きあってきた戦争、あるいは国家と個の関係を(おそらくは意識的に)棚上げしている作品だった。 内容的には、町内会の有志(自警団)がゴジラを退治するような話である。 舞台は終戦直後の混乱期、GHQ統治下の日。 作中では三丁目の夕日的(貧しいけれど心が豊かだった)時代として描写されている。 特徴的なのはアメリカや日(政府)、すなわち国家の存在が希薄なことだ。 主人公とゴジラも、国家や戦争というよりは、大戸島におけるローカルな事件(個人的なトラウマ)を介して繋がっている。 ゴジラの熱戦が生み出すキノコ雲だけが、国家と個の関係を記号的に示唆している。 いわゆる大きな社会が後景に遠のいている状態とも言えるかもしれない。 こうしたことから全体的には、90年代後半から00年代前半に流行った「セカイ系」作品にも近しい印象を受ける。 ただ、そこにあるのは「強す

    ゴジラ-1.0と戦後民主主義(あるいは誰も死なない戦争) - カテジナ日記
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    toronei 2023/11/20
  • ジャニーズの件 - カテジナ日記

    「タレントの活動の場を奪わないように」 「ファンの気持ちを考えて」 みたいな言説がよく理解できない。 所属タレントにしろファンにしろ、むしろ道義的責任を感じてもいいくらいでは…。

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    toronei 2023/10/08
  • すずめの戸締り(新海誠) - カテジナ日記

    先日、「すずめの戸締り(新海誠)」を観てきたのだけど、いやあ、これ元ネタは村上春樹の「カエルくん東京を救う」だよねえ。

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    toronei 2023/02/26
  • オーバーマン キングゲイナー まとめ - カテジナ日記

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    toronei 2020/07/31
  • ”失われた未来”を求めて ―シュタインズ・ゲート― - カテジナ日記

    子供時代の夏休みに「なにか」を失ったにもかかわらず、それが何なのか、思い出せない。しかし、その喪失感だけは胸の奥に刻み込まれている……。アニメ「シュタインズ・ゲート」はそんな気分にさせてくれる作品です。 その理由を探ってみよう、自分自身に説明してみよう、というのがこのテキストの趣旨になります。ちなみに私が準拠するのはアニメ版です。原作であるゲームについては未プレイですので悪しからず。 ゼロ年代の秋葉原。 厨二病が治癒しない主人公 岡部倫太郎は、幼馴染の椎名まゆり、友人 橋田至とともに「未来ガジェット研究所」なるサークルを設立、秋葉原の裏通り、中古家電ショップの2階で日夜、発明に勤しんでいた。 発明のほとんどは役に立たないガラクタだったが、しかしある日、意図せずしてメールを過去に送信する「Dメール」を発明してしまう。そして、そのDメール実験による「歴史改変」の結果、秋葉原は「萌えの街」から「

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    toronei 2017/05/21
  • Vガンダム 51話「天使たちの昇天」 - カテジナ日記

    カテジナは不甲斐ない男に苛立ってきたし、母性を持った女を憎んできた。強かったはずの男の弱体化と、それを許す女の甘さが、ルース家の家庭崩壊を招き、ひいては宇宙戦国時代という社会の混乱を呼び込んだと信じたのだ。 大人は少年を戦場に送り込み、その少年は男たちを次々と倒し、敗北した男たちは母性の中で幼児退行し、孤独な女は「母になろう」と狂ったように男を取り込んでゆく。秩序も何もあったものじゃない。「おかしいですよ!」と叫びたいのはウッソではなく、むしろカテジナの方だったのではないだろうか。 もしかすると、このVガンダムの世界の中で、唯一正気を保っていたのは彼女だったのかもしれない。だが、正気が成立しない世の中で、正気を貫き通そうとした彼女はいつの間にか狂気の側に居た。強い父権を取り戻そうとした、生真面目な少女は「壊れた世界」に飲み込まれてしまったのだ。 「成長して変革を志せ」というカテジナ。「故郷

    Vガンダム 51話「天使たちの昇天」 - カテジナ日記
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    toronei 2016/09/25
  • http://tentative-psb1981.hatenablog.com/entry/2016/09/24/164712

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    toronei 2016/09/25
  • Vガンダム「クロノクル・アシャー」 - カテジナ日記

    クロノクルは素直で真面目、その上に努力家だ。持ち前の優等生的器用さで、何でもそつなくこなしてしまう。だが社会が混乱すると、その煽りを真っ先に受けるのが、こういった優等生タイプではないだろうか。バラバラの指示が飛んできたり、対立する複数の価値観を目にすると、彼は混乱し、引き裂かれてしまう。 ザンスカールには、この優等生を上手く導ける大人がいなかった。最初の上司だったファラ・グリフォンは、その強引さで部下の反発を買っていた上、逆にクロノクルに助けられてしまうような人間だ。だが、クロノクルとファラの間に信頼関係が生まれた、と思った瞬間、彼女は更迭されてしまう。二人目の上司であるタシロもクロノクルの信頼を勝ち得ず、やはり、ファラと同じようにカガチによって粛清される。最後に師事したピピニーデンだが、彼は全く話にならない卑劣な男だった。とどめは「地球クリーン作戦」の中止だろう。「いったい全体、国の連

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    toronei 2016/09/25
  • Vガンダム「カテジナ・ルース」 - カテジナ日記

    富野作品においては、少年を成長させるのが父性であり、退行させるのが母性です。この両者のせめぎ合いこそが、ガンダムシ・リーズの中心的なモチーフだと言ってもよいでしょう。 しかしながら、このVガンダムという作品においては、母性が父性を圧倒しており、最終的に、ウッソも大人たちも母性の中に取り込まれてゆきます。その意味でこの作品は、主人公たちがある種の「現状肯定」と「引きこもり」を選択する物語です。おそらくこれは、当時の富野由悠季の気分でもあったのでしょう。 しかしカテジナだけが「それ」に逆らいます。彼女が、強い父権を求めてウーィッグの街から出ていくからこそ、Vガンダムという物語は成立するのです。劇中では、ある種の狂人として描かれるカテジナですが、しかし、もしかすると彼女だけが正気だったのかもしれません。 カテジナは作家の創造したキャラクターですが、それにもかかわらず、おそらくは作家の意図すら超え

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    toronei 2016/09/25
  • 少女の成長物語としてのガンダム - カテジナ日記

    2015 - 12 - 28 少女の成長物語としてのガンダム ガンダムF91 偽史 同士が争う ガンダム F91 の世界において、主人公である シーブック は、どのように成長してゆくのだろうか? 結論から言ってしまうと、 シーブック は、「成長しない」。 彼は物語序盤において、さっさと父と、続いてすぐさま母とも和解してしまう。 そして、劇中における彼のドラマはここででジ・エンドである。 (かつての アムロ や カミーユ との違いは明確だろう) あとは、母の作った ガンダム F91 を駆ってカロッゾを倒し、その母の助言に従って宇宙空間に放り出されたセシリーを見つけ出すだけだ。 だが、これは シーブック の達成というより、レズリーの達成ではないだろうか。 彼は「母親の手の内側で、そのすべてを手に入れる」のである。 そして、この F91 以後、富野はロボットアニメという表現を通じて少年の成長物語

    少女の成長物語としてのガンダム - カテジナ日記
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    toronei 2015/12/30
  • ウルトラセブンを観た - カテジナ日記

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    toronei 2015/12/24
  • ザビ家とロナ家 - カテジナ日記

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    toronei 2015/09/19
  • ガンダムF91 父の復活 - カテジナ日記

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    toronei 2015/09/13
  • 父の死、そして復活 - カテジナ日記

    1988年に公開された、機動戦士ガンダム 逆襲のシャア。 この作品全体から受ける印象はなんというか、実のところあまり政治の話をしていないな、ということだ。 むしろこれは父ジオン・ダイクンの遺志(ニュータイプ論)に振り回されて死んでゆく哀れな子供たちの物語…と表現したほうが適切じゃないだろうか。 そして逆襲のシャア公開後、1990年にベルリンの壁が崩壊し、つづく1991年にソ連が解体する。 人類が100年にわたって見つづけてきた一つの夢…共産主義、というよりは、それを支えた進歩史観とその母体となった近代的な人間観はその有効性を失った。 ここでガンダムにおける架空の宇宙世紀と、我々が生きる現実世界の間に、ちょっとしたシンクロニシティを感じるのはそれほど無理な話でもないと思う。 たとえばジオン・ダイクンをマルクス、ニュータイプ論を共産主義に置き換えれば、大雑把にみて、この2つの世界の状況は似たり

    父の死、そして復活 - カテジナ日記
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    toronei 2015/09/13
  • ガンダムF91の時代背景 - カテジナ日記

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    toronei 2015/09/13
  • ガンダムF91のネガティブ感 - カテジナ日記

    前回、どこか後ろ向きな、過去を振り返るようなイメージがガンダムF91にはある、と書いたわけだが、それはいったいどのあたりなのか。 今、ざっと思いつく限りのことを挙げてみると、たとえばそれは ファーストガンダムのオープニングを、ほぼそのまま踏襲したような、導入部の演出 どことなく昔の…アムロ・レイ以前のロボットアニメの主人公的な雰囲気をもつ主人公シーブックや、いかにも悪者然とした鉄仮面ことカロッゾ・ロナの、テレビまんが的なルックス ロナ家が採用する中世(実際は近世)ヨーロッパ的なビジュアルイメージ といったところだ。 またスタッフに目を移せば、それは 大河原邦夫や安彦義和といったファーストに携わった伝説的なメンバーの起用 である。 もちろんF91のコンセプトは原点回帰だったのだから、先にあげた理由は当然全て計算づくでのことだったはずだ。 では、しかし、なぜ原点回帰だったのか。 たしかに、それ

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    toronei 2015/09/13
  • 公開当時のガンダムF91の評価 - カテジナ日記

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    toronei 2015/09/13
  • ゆうきまさみは何に挑んだか(顔のない父) - カテジナ日記

    この作品「機動警察パトレイバー」において、作者「ゆうきまさみ」は何を描こうとしたのでしょうか。いや、何に挑んでいたのでしょうか。敵は企画七課、すなわち80年代的感性だけであったのか? それを読み解く鍵は遊馬とその「父」一馬にあります。イングラムの不正入札疑惑の際に、遊馬は父に会いに行きます。そこで行われた会話については別のエントリで触れた通りですが、ここでのポイントはその会話の内容ではありません。父、一馬の姿がどのように描かれているかです。そこに注目すると奇妙なことに気が付きます。彼の姿は(逆光を受けているために)シルエットでしか描かれていない。つまり、彼には「顔がない」のです。 ゆうきまさみは、「父の顔を描かなかった」、あるいは「描けなかった」。これが意味することは、彼にはほぼ人格が与えられていないということです。なぜならば、一馬は大きな社会システム=高度資主義(by 村上春樹)の象徴

    ゆうきまさみは何に挑んだか(顔のない父) - カテジナ日記
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    toronei 2015/05/07
    素晴らしい、ゆうきパトレイバー論でした。
  • 篠原遊馬の挫折(そして久世駿平へ) - カテジナ日記

    泉野明が理想の大人として、後藤、杉浦先生、父親といった「学校の先生」タイプを提示するのに対して、遊馬は実父である篠原一馬はもちろん、「誰も尊敬できない」と言う。彼にとっての大人のロールモデルは存在しないのだ。 そしてこれが遊馬の物語の結末でもある。 この野明と遊馬の会話の直前、イングラムの不正入札疑惑の際に、疑惑の真相を確認するため、遊馬は父、一馬を詰問する。だが、父は遊馬を一蹴する。「お前には関係ない」と。驚くことに遊馬はそのまま黙って帰ってきてしまう。その理由を彼は「どうでもよくなったからだ」と説明する(父の不正を確信したにも関わらず)。 この瞬間、遊馬の未来が確定する。父との和解もなければ、対決もない。オルタナティブな大人像もない。ここで、作者は遊馬の問題をある意味で放り出してしまった(どうでもよくなった)のだ。それが前述の遊馬の態度に繋がる。 そしてこれ以降、コミックス版パトレイバ

    篠原遊馬の挫折(そして久世駿平へ) - カテジナ日記
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    toronei 2015/05/06
    なんかパトレイバーの漫画版って、遊馬に限らず、最後の方、特車二課の連中を描くの微妙に失敗していた印象あるんだよなあ。物語が終わってもその人達の人生は続いていくというのに、うまくぼかされてるけど。
  • 泉野明はRight Staffだったのか?(パトレイバーの正義) - カテジナ日記

    この物語の結末は泉野明のイングラムが、バドのグリフォンを倒すというものだ。その意味は、特車二課 第二小隊が企画七課を倒したということに留まらず、部下を育てる後藤喜一に、誰も育てなかった内海が敗れたということでもある。 そしてこの結果、特車二課第二小隊の「Light StaffからRight Staffへの成長」が達成される。ここで付け加えておくなら、これは作者の80年代的感性 への断罪でもあるだろう。 当初「Light」であった第二小隊は「Right」になり、その代わりに「Light」でありつづけた内海は、その80年代的価値観とともに死んでゆく。 だが、ここではその成長の具体的な中身を見ていきたい。当に第二小隊、特に泉野明はRight Staffになったのだろうか。 野明が特車二課に志願した動機はレイバー、特に「イングラムが好きだ」というものだ。それは後藤が指摘するように「運転手さん」に

    泉野明はRight Staffだったのか?(パトレイバーの正義) - カテジナ日記
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    toronei 2015/05/06
    まあこの辺は語り尽くされてることかなあという感じ。綺麗にまとめてくれてるけど。
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