親や大切な人の死に目に会えなかった。 そんな経験をした人は世の中たくさんいる事だろう。会えなかった人の理由も様々だ。 仕事などで都合がつかなかった。 容態が急変してしまった。 遠く離れていた。 見るのがつらくて避けてしまった。 相手がそれを望んでいなかった。 特にどうでもよかった。 人の思いも置かれた状況もそれぞれなのだ。 でも「会いたい」と思って会えなかった時の後悔は大きいものだ。なにせそれは最後なのだから・・・ その時:訃報 1時間後:目を覚ましそうな祖母と謎の花 2か月前:「おかえり」自宅療養 1日前:予兆と宣告 1時間半前:母の看取る覚悟 1時間半前:謎の花の正体は・・・ そしてその時へ 声だけは届くかも?死後も聴力は生きてる可能性が・・・ その時:訃報 まだ残暑が厳しい8月の終わりの午後2時。 母から電話がかかってきた。 「お母さん間に合わなかったよ。行ったらもうお祖母ちゃん亡く
![(ある在宅終末医療の話) 死に目に会えなかった。母は毎回わずかの差で後悔する。 - ちゃこりんの空回りな世界∞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8a3a6106f0198d1beeef80f4dc98f099f01e005a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fc%2Fcyakorin%2F20180907%2F20180907172346.jpg)