2009年3月6日のブックマーク (1件)

  • 制約が自由を感覚させる - レジデント初期研修用資料

    自由が行き過ぎるとテキストになる 次世代のインターネットだとか、ユーザーの自由度が極めて高いだとか宣伝された 「セカンドライフ」は、むしろ不自由な世界だったのだろうと思う。 セカンドライフ世界では、ユーザーは街を歩けるし、誰とでも会話が楽しめるし、 いろんな品物を購入できて、空だって飛べる。たしかに何でもできるんだけれど、 ユーザーの自由度をもっと増して、たとえばユーザーが「壁抜け」自由になって、 「テレパシー」機能が実装されて、会話が全て盗聴できるようになったなら、 ユーザーにはもはや、「歩く」だとか「飛ぶ」、会話をするために誰かに近づいたり、 街の中で誰かを捜すといった行為に、理由がなくなってしまう。 自由度が増すと、ユーザーを取り巻く世界は、だんだんとその意味を失っていく。 ユーザーは歩けるし飛べるけれど、遠くが見えないし、壁を抜けることもできない、 そんなセカンドライフ世界から始ま

    toryu_rin
    toryu_rin 2009/03/06
    SLは場を共有しなければならないのが最大の特徴かつ目的かつ制約。「自由は不自由の際に生ず」by 福澤諭吉