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2009年3月26日のブックマーク (15件)

  • 『素浪人 花山大吉』のサブタイトル - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ

    先日焼津の半次の話をしたついでに、テレビ時代劇『素浪人 花山大吉』で名物となっているサブタイトルを挙げておきます。このサブタイトルを予告編で、アナウンサーが2度繰り返して言うのがツボにはまる。 『素浪人 花山大吉』とは、近衛十四郎演じる花山大吉と、品川隆二による焼津の半次のコンビによる、おおらかな一話完結モノ。現在、花山大吉の前身である『素浪人 月影兵庫』(設定はほとんど同じ)を東映チャンネルで、『素浪人 花山大吉』は時代劇専門チャンネルで放映中。どっちも昔、ヒマだったときにCSで観てましたがビタイチ覚えてないし、痴呆ついでに最近『素浪人 花山大吉』を寝る前に観ていますが、茶店で花山のダンナと半次がウダウダ口喧嘩しているだけで、最初の10分くらいは1ミリも話が進まなかったりする、時空の止まり具合がイイ感じです。 サブタイトル、やっぱりいいですね。月影兵庫や、病後に再開された『天下太平』等よ

    『素浪人 花山大吉』のサブタイトル - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    大地丙太郎大喜び。
  • 2004-08-06

    の恩返し」で既に実証試験済事項なのではあるが、池脇千鶴たんの御声というのはそれだけで相当に危険なシロモノであり、その御声を2時間近く聴くことができる「ジョゼ〜」のオーディオコメンタリーというのは、ここ数年で最も偉大な企画であると思うのである。池脇ボイスが延々と。実に、幸福感溢れるスマートドラッグである。あれはいいものだ。 告白すると、犬童一心、という名前の読み方が、俺の中でははじめてFIXした(監督がコメンタリーで名乗ったから)。それまで、読み方が確定してなかったんだよな〜。 DVD「ジョゼと虎と魚たち」ちーたんが喋る DVD「FOG OF WAR」マクナマラ爺さん喋る DVD「ウォーターボーイズ」ブッキーが喋る 書籍「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」菊地成孔が喋る 喋りばっかだ。入院中に聴いていたDCPRGを懐かしく思い出す。

    2004-08-06
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    ちーたん、アディクト、オタク。
  • 2004-08-26

    「奇跡の海」や「ドッグヴィル」でのボウイの使い方や、ミュージカル映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」にだまされているひともいるかも知らんが、一部のファンの間ではもはや伝説と化した(嘘)、ヘボいニューウェーヴくずれのような「エピデミック」エンディングテーマ「エピデミックのうた(仮称、だってサビで『エピデミック♪』って言ってるんだぜ!)」を聴くとわかるように、トリアーの音楽センスはなんとなく微妙にダサい、というかズレているように思うのだ。 攻殻SAC2の6巻を買いに昼休み会社を抜け出したら、「キングダム」のBOXを見つけた。そういや出てたんだな、これ。 好きなのだ、キングダム。欲しいのだ、BOX。と値段を見たら7990円。え?そんな安かったっけ?これ買いじゃん! と思ってレジに持っていったらいちまん7990円だと言われ、財布がアクセスディナインドかましてきたので泣く泣くあきらめました。「1」の数

    2004-08-26
  • ボーン・スプレマシー - 伊藤計劃:第弐位相

    ここ最近、冒険小説の名作の映画化が続いている。こういうタイプのアクション映画の企画は90年代後半から消えはじめ、一時期は誰も求めていないもののように思われていた時期もあった。しかしここにきて「マイ・ボディガード(燃える男)」とこれだ。 邦題が「殺戮のオデッセイ」でないのは、ここまで来るともう原作関係ないからどうでもいい。小説の原題なんだし。「マイ・ボディガード」とこれ。いずれもがタイトに締った傑作であり、観客の大半が映画にやたら説明的な情緒ばかり求める、そんな世の中の流れに逆らった、行動によって物語をビシッと示す映画的ストイックさを持っている反時代的な作風である、という2つの点においてこれらの作品は同じだ。タイプはまったく違うけど。 というわけで、映画を観てひさしぶりにテンションがあがりましたよ。最近これってたえてなかった。映画見てアッパーになるなんて。 これがどういう映画かというと、ザク

    ボーン・スプレマシー - 伊藤計劃:第弐位相
  • 2005-03-21

    戦う前からこのバスはすでに敗北している。 「なんかこれ、すげー怖いんだけど」 と隣の席の少年は言った。それは具体的には劇中のある箇所の描写に関してなんだが、そこ以外でも劇場は後半、分厚い沈黙に包まれ、子供達は押し黙っていた。退屈していたのなら雑談が聴こえはじめるはずだ(他の映画でそういう経験をしている)。しかし子供達は押し黙っていた。 この映画をどんな層がどんな楽しみを求めて劇場に来ているか、ぼくは知らない。漫画はさすがに読んでいないということはないけれど、ときどき眺める程度でキャラをある程度知っているにすぎない。だから、キャラへの(事前の)思い入れもまったくないし、かくあるべし物語の方向性もない。 そういう人間にとって、この映画ははっきり言って驚いた。 「これはワンピースではない」とか「こんなものを観客はワンピースに求めていない」とかいう物言いは、押井のBDやパト2の劇場公開時にさんざん

    2005-03-21
  • 2005-04-15

    いま職場の壁紙をスネオからウォッチメンに変えた。 まだ壁紙とレジスターと掲示板しかない映画ウォッチメン公式 yahooではかなり前から出ていた「ドミノ」のトレイラー。やっとアップルトレイラーに登場。トニスコはもう活劇作家として死ぬ覚悟を固めたようですな。次回作は「ウォリアーズ」のリメイクだというし。というか、このひとは一貫して活劇作家だったわけだけど、ここにきてその自覚が先鋭化したような題材ばかり選んでいるような。 http://www.apple.com/trailers/newline/domino/ ショートカッ党としては、髪を切ったキーラはたいへんよろしい。「マイ・ボディガード」のあまりにあんまりなミッキー・ロークの使われ方は、この映画のための伏線だったのかあ。 「コンスタンティン」のロンギヌスの槍は「ヘルボーイ」のロンギヌスの槍と同じプロップの使い回し出そうな(「ローレライ」のB

    2005-04-15
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    約4年も待ち続けた人に見せてあげられないなんて。
  • 宇宙戦争 - 伊藤計劃:第弐位相

    「ははは、人がゴミのようだ!」 天空の城ラピュタ 要するに、たかがキャッチボールをこれだけ暴力的に演出できる男の才能とは一体なんなのか、ということだ。「見せること」がまさか暴力になるとは思っていないルーカスなどとは、演出の地力がケタ違いだ(どう考えたってEP3より「映画力」が上でしょ、この映画)。 冒頭近く、父親と息子とのぎこちないキャッチボール。しかし、ここで重要なのはそのキャッチボールが描き出す主人公と息子とのドラマにあるのではない。我々が驚くべきは、そのキャッチボールが、たかがキャッチボールであるはずの風景が、スピルバーグの手にかかると物凄い暴力の予感に満ちたやり取りと化す、その異常な演出力だ。質量とスピードを持った物体が、大きなインパクトとともにミットのなかに押さえ込まれる。ズバン、ズバン、とやり取りされる毎に、その質量はより大きなパワーを獲得してゆく。心理は映らない。画面に映らな

    宇宙戦争 - 伊藤計劃:第弐位相
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    伊藤さんのスピ論は、いつだって卓越していた。すごいね。
  • 2005-07-13

    不死であるというのは無意味なことだ。人間を除けば、すべての生物は不死である。なぜなら、彼らは死というものを知らないから。神聖なもの、恐ろしいもの、不可知なものは、自ら不死たることを自覚しているものだ。 ボルヘス「不死の人」 というわけで、肺に転位したと告知されてからはや一ヶ月、手術してきます。ちなみに転位はメタというそうです。メタフィクションとかメタボールとかメタセコイアとかの(違う)メタ。 id:toshi20さんからもらっていたんですが、明日入院で時間がないので、項目4「見たい映画」にだけ答えて行ってきます。 「G.R.M」(押井守) 以上。 んじゃ、また続きは帰ってきてから。退院明けの1発めは「宇宙戦争」2回めだな、絶対。死病からの帰還にはこのうえなく相応しい映画であると言えよう。

    2005-07-13
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    ああ、こういうこともあったっけ。すっかり忘れてた。/押井は一刻も早く「G.R.M」つくれ。つくってください。おねがい。
  • NANA - 伊藤計劃:第弐位相

    今日、はじめて「NANA」の予告編を観た(おいおい)。新幹線の中で二人が出会うらしい。 「あたしもナナっていうんだ。ナナちゃん」 「へえ、なにしてんの」 「石鹸を作ってる」 あのシチュエーションではそういうオチが待っているとしか思えん原作未読者です。

    NANA - 伊藤計劃:第弐位相
  • 恋人たちの病院 - 伊藤計劃:第弐位相

    俺の斜め前のベッドで恋人たちがむつみあっている。あまりに不快なのでカーテンを閉めたが、「あふん」「いやん」という女性の声が部屋に響く。 バールのようなもの、をふるって黒沢清の映画の凶悪モードな役所広司のように無表情+鈍器の黄金分割で撲殺したい衝動にかられたが、手近にバールのようなものはなく、さらに認めがたい現実を告白するなら、彼は焼けすぎず白すぎない絞られた肉体のイケメンであり、だらしない肉体、といってもフランス書院的に淫らという意味ではなく腹が出ているくせにモヤシ、という意味なんだが、とにかくそんな体のわたしがバールのようなものを持って挑みかかったところで、ルシファーに挑みかかるガブリエルのように、蹴散らされてしまうだろう。 「あなたはどうするの?」 「最善を尽くします。奴等を殺す。病院でいちゃつく奴等、ひやかしでレンタルのAVコーナーに入って来るカップル、全員殺します」 「やって、クリ

    恋人たちの病院 - 伊藤計劃:第弐位相
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    こういう思いから「虐殺器官」は生まれたにちがいない。
  • 伊藤計劃:第弐位相 - 喫煙、中毒、オタク

    あ〜、予告編がものすごい勢いでマンシーナ節でした。 編見ているあいだはこれぽっちもジマーの影を感じませんでしたが、米軍がどかどかガッコの階段の踊り場をのぼってくあたりとかにマンシーナ節が流れると、奇妙なもんですが、松晃彦(踊る)か佐藤直紀(ローレ)あたりの偽ジマーなノリに聴こえてしまいそうになる。日のアニメにマンシーナ、という状態自体が、音楽を奇妙にパチモン臭く。まあ、それでいえばメタルギアもハリー=グレッグソンなわけですが、あっちは外人が主人公の洋画テイストだったから、なんかフツーにゴージャスなかんじで受け入れてましたが。余談ですが、先日買った「キングダム・オブ・ヘブン」ではハリーさんがコンダクトしている様子が見れまして、「音楽はカットされるけど、仕方ないよ」とかモロ諦めモードを漂わせた様子に、リドリーの音楽家に対する無神経さを読み取ることは容易でした。いや、がんばったよ、ハリー。

    伊藤計劃:第弐位相 - 喫煙、中毒、オタク
  • さすらいびととして死ぬこと - 伊藤計劃:第弐位相

    追放/亡命とは、もっとも悲痛な運命のひとつである。近代以前の時代において追放がとりわけいまわしい刑罰であったのは、それがただ家族や住みなれた場所を離れ、何年もあてもなく放浪することを意味しただけでなく、一種の呪われた者になることを意味したからである。 エドワード・サイード「知識人とは何か」 あなたは、どこで死ぬだろうか。 もちろんそんなこと、わかりっこないという人がほとんどだろう。病院のベッドの上で死ぬかもしれないし、明日、車に轢かれてぼろぞうきんのように死ぬかもしれない。通勤電車が脱線するなどとは誰も思っていないけれど、それは起こってしまったし、いまや、都市という、予測し制御しようとする指向の産物のなかに住んでいたって、死のバリエーションは山ほどある。 だけど、あなたがベッドで死ぬとしたら、そのベッドはどこにあるのだろうか。 車に轢かれるとしたら、どこの道路ではねられるのだろうか。 「宇

    さすらいびととして死ぬこと - 伊藤計劃:第弐位相
    toshi20
    toshi20 2009/03/26
    いま読むと、ほんと壮絶な文章。こんなん伊藤さんにしか書けないよ。
  • 劣等感を生むゲーム-伊集院光 深夜の馬鹿力

  • 2009-03-25 - てれびのスキマ 山崎邦正が憧れた狂気

    以前、「山崎邦正の狂気」というエントリで、彼が「時計じかけのオレンジ」のレイプシーンを見て、ピアノを始めたといエピソードを紹介した。 雑誌「人」の吉田豪によるインタビューでその頃の心境について明かしている。、 彼が、「時計じかけのオレンジ」を見たのは23歳くらいの頃だという。 ちょうど軌保博光とのコンビTEAM−0が東京に進出し、解散することになる頃、山崎邦正にとって大きな転機となる時期だった。 TEAM−0はその少し前、一つの大きな選択をしていた。 それは『天然素材』と『ガキの使いやあらへんで!!』との二者択一だった。 『天素』のプロデューサーから「『天然素材』はリーダーとして残ってほしい。ただ『ガキ』はやめてほしい」と選択を迫られた二人は、それぞれ軌保は『ガキ』、山崎は『天素』を選ぶ。最終的には、演出家との対立もあり、軌保に従い『ガキの使い』を選択し、東京進出を果たす。 しかし程なく

    2009-03-25 - てれびのスキマ 山崎邦正が憧れた狂気
  • asahi.com(朝日新聞社):泥酔学生下車し凍死、タクシーに賠償命令 松山地裁 - 社会

    松山市の山中で07年12月、愛媛大学医学部の男子学生(当時23)が凍死したのは、個人タクシーの運転手(64)が泥酔した学生を現場付近に降車させたためだとして、遺族が運転手に慰謝料など5千万円を求めた訴訟の判決が24日、松山地裁であった。武田義徳裁判官は「最寄りの警察署などに降車させるべきだった」として安全配慮義務違反を認め、約4100万円の支払いを命じた。  判決によると、学生は07年12月21日夜、松山市内で友人らと酒を飲み、翌22日未明、帰宅するため1人でタクシーに乗った。運転手は松山市玉谷町の国道で降車させ、学生は歩いて帰る途中、石手川の河原に転落して凍死した。  武田裁判官は「学生が泥酔状態でタクシーに乗車してから降車まで20分しかたっておらず、降車時は酔っていると感じなかったとする運転手の供述は信用できない」とした上で、「運転手は現場付近の地理に詳しく、泥酔した学生を降車させれば