何がいいとかよくないとか、価値があるとかないとかだとか、おもしろいとかつまらないとか、内容がどうのだとかまとまってるだとかだらだらしてるとか、長文だとか短文だとか、わかりやすいだとかわかりにくいだとかなんだとか。 そんなこととどーにも関係ないとこで、わたしはきをふしが好きだ。 え?呼び捨てですって? だってここで言ってるきをふしはHNの「きをふし」じゃないもん、きをふしだもん。 だって、きをふしなんていませんもん。わかる? きをふしというひとは、いないよ。「そのもの」がかもしだす言葉の綾をふんだんに交えてこう言うけどさ、つまり、ここなどに書かれた言葉たちがきをふしそのものである。 (「映す硝子」2006-02-09(木)より) きをふしが変化していく、黒板ぽが動いていたときのきをふしよりも、最近のきをふしはよくはねる、そして飛ぶ、それから落下し、着地時点でふわりとふり向いて舌を出す。 きを