2022年4月22日のブックマーク (3件)

  • 知将から猫へ、進化する幸村像 物語の中の真田一族(上)

    大坂夏の陣の慶長二〇(1615)年、豊臣方について戦った真田幸村と大助親子は武運つたなくこの世を去った。はるか後年、天保四(1833)年あたりに、彼らが登場する読み物「朝盛衰記」が成立。物語の世界で真田親子は琉球を駆け巡ることになる。真田一族は二百年の時をかけて、江戸の人々の想像力を借りて再度の旗揚げを果たしたというわけだ。 そこからさらに二百年弱。現代の真田氏はアニメや映画、ドラマ、ライトノベルなどに登場。幸村は美男子になったり女体化したりになったりしている。江戸時代とは、かなりイメージが異なる。私は現代の娯楽文化には詳しくないが、赤くて元気、リーダーで軍師であれば幸村、ということになっているのだろう。 江戸時代と現代の真田一族の間を埋めるのが、明治大正時代の娯楽物語である。これらの創作物がなければ、今の真田一族の人気もなかったかもしれない。キャラクターとしての真田氏がはるばる渡って

    知将から猫へ、進化する幸村像 物語の中の真田一族(上)
  • 忠臣蔵は大正時代にも飽きられていた - 山下泰平の趣味の方法

    昔から飽きてた 気が付けば忠臣蔵の人気や知名度が無くなっていたみたいな話をインターネットで見掛けたんだけど、大正時代くらいには忠臣蔵に飽きてる人は多かった。江戸時代くらいから忠臣蔵をアレンジした物語は書かれていたのだから、大正時代以前から忠臣蔵に飽きてた人はわりといたのかもしれない。スタンダードな忠臣蔵を延々と楽しめるのであれば、アレンジする必要なんかない。飽きた人がいたから、物語に改良が加えられたわけである。 ただいわゆる普通の人、あくまで仕事の余暇に物語でも楽しもうかって人たちが飽きはじめたのは、明治の後半くらいなんじゃないのかなっていう雰囲気はある。残念ながら資料としては大正のものしか発見できなかったんで、タイトルでは大正としている。 まずは明治の普通の人たちが忠臣蔵をどう楽しんでいたのか、雑に解説しておこう。 明治の中頃くらい、忠臣蔵の全てを知りたいっていう気運が上がっている。ここ

    忠臣蔵は大正時代にも飽きられていた - 山下泰平の趣味の方法
  • 大正時代の健康法を5年くらい実行してたら普通になったので1万文字くらいかけて紹介する - 山下泰平の趣味の方法

    私は明治やら大正時代が好きで調べてる。それだけじゃなくて、当時流行してたことを実際にやってみるのも好きだったりする。昔だから今より全てにおいて水準が低いので、実行してもあんまり意味ないんだけど面白いからやってる。 大正時代の健康法も実践してることのひとつで、特に効果とかないけど害もない。ものすごい普通さである。しかしイカれた健康法を続けていると、なんか面白い気分になる。面白くて普通なのは最高だと思う。というわけで私が実際にやってる健康法を紹介をしていく。 一応は書いておくけど、心身健康な人は紹介する健康法を別にやっても良いと思うけど、病気の人は病院に行ったほうが良いと思う。明治大正の健康法より現代医学のが強い。そして基的に明治大正の健康法は、気合があったら健康になる! 気合を入れろッ!! 魂で勝負だッ!!! ってのが多い。 病気の人は気合とか意気とか魂に勢いがない。 だから明治大正の健康

    大正時代の健康法を5年くらい実行してたら普通になったので1万文字くらいかけて紹介する - 山下泰平の趣味の方法