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社会とlifeに関するtoyaのブックマーク (68)

  • 20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ

    という論調をよく見かける。 「親からあれこれこういう目にあわされて、俺私はこんな風になった」と言っている人間に対し、 「お前もう○歳なんだろ?ならもうそれは、お前の責任なんだ。親のせいにするな」(これは20歳とは限らない、高校生くらいの場合もある) と言う論調である。 でも、果たして当にそうなのか? 確かに、法律的な、そういったある種の便宜的な意味ではそうならざるを得ないのかもしれない。要するに「だってそんな、いつまでも際限なく親のせいなんていってたらキリがないじゃん。その親を育てたのも親だしさ。だから20歳からは自己責任ってことで」という意味あいである。 あるいはまた別の便宜的な意味として「親にもう拘るな。親を恨んでも仕方が無い。そんなことは忘れて、もう自分で変えるしかないんだ」という、責任云々というよりも、当人のために敢えてそういういいかたをする、というのもまた有り得る。 確かにこの

    20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ
  • 404 Blog Not Found : 親に関する最もありがちな2つの誤解

    2007年10月08日18:00 カテゴリLove 親に関する最もありがちな2つの誤解 三連休は家族全員風邪でぐったり。そろそろ起きるか.... が臨月だ 名前が常識的に普通じゃない子供&親とは付き合わない。(当て字とか…) 子供と親の年齢が近い(あきらかに10代で産んでいる)人たちとは付き合わない。 子供を注意しない(しつけない)親とは付き合わない。 微苦笑。わたしゃこの時点で失格。 ところが親としても子としても、上の発言主よりもよろしくやっている。 なぜか。親というものに対する二つの誤解から、今は目が覚めているからだ。 別に私が賢いわけじゃない。覚ましてくれたのは、子供たち。この二つは、子供を得てはじめて気づくタイプの誤解でもあるのだから。しかし他の多くのコロンブスの卵と同様、いったん気がついてしまえば別に親にならなくともわかる。というわけで、いい機会なので書いておく事にする。 誤解

    404 Blog Not Found : 親に関する最もありがちな2つの誤解
  • 地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない

    地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない一連のエントリを見て考えてみた。 俺は現在のと都心にある某私大在学中に知り合って以来、くっついたり離れたりを繰り返しながら同棲結婚に至った。 そしてが子どもを身ごもったときに「身寄りのない都会での子育ては不安がある」と言うので、の実家である寂れた街に引っ越すこととなった。 その地域は、今思い出しても実に特徴的だったと思う。 まず、のように(ましてや女一人で)東京の大学に進学するというのは極めて少数派であることがわかった。そして、東京の大学なんかを出ているよりも地元の高校を出ている方が就職などで有利なときすらあるということもわかった。 何しろ、そこの土地の人たちときたら、東京六大学の校名すらロクに言えないのだ。 俺は、地場の事務機屋に職を見つけて勤めることとなった。そこでまっ先にきかれたのは、「キミは○×

    地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない
  • 格差と想像力

    こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。 http://anond.hatelabo.jp/20070826235204 私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。 大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。 卒業して就職

    格差と想像力
  • re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

    スレ元の増田氏が羨ましくてちょっと書いてみる。 「裕福でないと大学にいけないという幻想」を読んでモヤモヤしていた。 面白くないかもしれないが、ぼくの在郷の話をしよう。 ぼくの田舎は丸ごと貧乏だった。一部土建屋連中が公共事業のお零れに預かりそこそこ儲けていたようだが、大半は世間の六割以下の収入だ。 運命は中学卒業で決まる。ぼくが卒業した十数年前には50名のクラスメイトが居たが8割は山一つ向こうの偏差値最低の屑のような高校に進む。高校くらい出なければ恥ずかしいからだ。そして1割は山を10ほど越えた工業高校へ下宿して進み、ほんの一握りの4名が大学へ行くためにこれも下宿して各進学校へ進んで行った。 当時ですら大学の進学率は4割を軽く超えていたが、我らが田舎から大学に進んだ同級生は4名だった。単純に成績で篩に掛けられ1割が残った。 「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば

    re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった
  • 努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

    格差社会の話で、個人の努力を云々する人がいて、 それは個人に責任を押しつける結果にしかならないと思うんだけど、 ただまあ確かに当事者としての貧乏人に何ができるかっていうと、 選挙に行っても明日すぐに楽になるわけでなし、 明るく生きることを考えたり、這いあがろうと努力したりしかなくて、というのはあると思う。 自分の話。 親はブルーカラーの労働者で、まあ極貧とまでは行かないけど、生活は苦しかった。 早く商業高校でも出て自分で稼いで、好きなことにお金を使いたかった。うまいものをいたかった。 だけど僕の高校進学のことで中学の先生と三者面談をしたときに、先生が親に「普通科へ行かせてやってくれ」と言いだした。 僕も親も、高卒で就職することしか考えてなかったから、それはない、と言う。 でも先生は「こいつは大学に行かせてやって下さい」という。かなりしつこかった。しばらく問答したけど、 最後には「お金は何

    努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 分裂勘違い君劇場 - 大多数が余裕を持って暮らせる豊かな社会の作り方

    世界には、労働力マーケットが2つある。 高能率労働者マーケットと低能率労働者マーケットだ。 高能率労働者マーケットでは、慢性の人手不足のせいで、賃金が上がり続けている。 企業と労働者の力関係は、圧倒的に労働者の方が強く、 企業は、労働者に頭を下げて、お願いして企業に来てもらっている。 当然だ。 企業は、その労働者から、給料以上の価値を受け取るのだから。 交渉では、常に、より多くのメリットを相手に与える方が、優位に立つ。 当然、高能率労働者の待遇はすごくよい。 これは、単純な需給バランスの問題でもある。 需要が大きいのに、供給が小さいから、労働力の価値が上がっていく。 労働者がでかい顔をする。圧倒的なパワーを持つ。 一方で、低能率労働者マーケットでは、世界的に、労働者の数はどんどん増えている。 その需要を上回るスピードで。 そのせいで、賃金は下がり続ける。ワーキングプアに転落する。 これも、

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