自分の仕事を、ある段階で「パッケージ」としてイメージする——これでだいたい「できている」という。完成することを「完パケ」と言う業界がある。終わらない自分探しが続いちゃうみたいなのはやっぱり問題で、ある程度のところで自分の作っているものを「だいたいこれでいい」と仮固定するにはどうするかを考える必要がある。仮固定にも技術がある。
このところ「努力」に関する考察をツイートしていた。それらのツイートの一部をもとにし、加筆した記事である。また、次の記事の続編でもある。 1 努力の分析努力しても成果が出ないのではなく、あまり良くない方向に努力しているということがある。「努力って、そりゃ誰だって努力してるよ」というわけだが、問題は努力の方向の適切さなのである。教育というのは、努力の「方向」にアドバイスをすることだと思う。 自分を客観視するのは難しい。自分がしている努力がいかなる努力なのかということは、しばしばよくわからないままになっている。だから、ときに第三者に見てもらう必要があるのだが、「自分の努力が変な方向に向いていないか」という自己ツッコミの意識を持つだけでも、だいぶ違うのではないかと思う。
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