ブックマーク / ten-navi.com (4)

  • 写真が下手なのに仕事が絶えない写真家の存在が謎だった|幡野広志

    すこしお高いお寿司屋さんにいった。カウンターの中には3人の板さんがいる。ぼくの目の前にいる板さんが、おそらく一番えらい大将だ。大将はそういうキャラクターで売っているのか、すこしイライラしている様子だった。 一見の客が自分の店へ来たことに、ムカついたのかもしれない。もしかしたらこのお店ならではのマナー違反をしていたのかもしれない。まず最初に名刺を出すとか、切り身に挨拶をするとか、なんにしても初めてのお店なのでよくわからない。 日のおすすめを見ると、北陸のカニを入荷しているようだった。あぁ、いいなぁとおもいカニを刺身で注文する。「オスとメスがあるけど、どっちにする?」と大将にぶっきらぼうに聞かれる。 ぼくは東京生まれ東京育ち、東京っぽい人はだいたい友達だけど、北陸のカニのことなんかまったくわからない。カニの性別なんて人生で一度も気にしたことがない。「おすすめはどっちですか?」と質問をすると「

    写真が下手なのに仕事が絶えない写真家の存在が謎だった|幡野広志
    toyoben
    toyoben 2021/02/14
    誰かが自分に対してマウントを取りに来たら「あぁ、 この人はそれをしないと自分のプライドを維持できないんだなぁ 好きにすれば自分はそんなこと全く興味は無いから」って心の中で思っている。(これマウントだね😅)
  • 「できること」を掛け算していったら、「自分しかできないこと」になった|そーだい

    エンジニアとして技術ブログをしたためるそーだいさんは、現在の仕事を「自分しかできないこと」と感じているそうです。誰もが追い求める、でもどこにあるのかわからない「自分しかできないこと」の見つけ方を綴ってもらいました。 はじめまして。株式会社オミカレという会社で副社長 / CTO(Chief Technical Officer)を務めるそーだいと申します。 と、肩書だけ並べるとなんかすごそうですが、実はそんなことはありません。「副社長」も「CTO」も役割のひとつに過ぎず、「マネージャー」や「リーダー」、あるいは「新入社員」のように、誰もが担うなにかしらの責任と質は何も変わらないでしょう。 さて、私がここに至るまでにはオミカレを辞めたり戻ったり、といった紆余曲折があったのですが、今の役割を担ったのには「これは、自分“しか”できない仕事だ」という予感があったからです。誰にも定義することなどできな

    「できること」を掛け算していったら、「自分しかできないこと」になった|そーだい
    toyoben
    toyoben 2019/04/18
    身の回りの人間関係の中で「自分の居場所がない」って感じることが多く、どうしたらいいんだろうっていろいろ考えているんだけど、この「『できること』の掛け算」ってのがわりと有効かな?って最近思っている。
  • 29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!

    2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停

    29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!
    toyoben
    toyoben 2018/12/17
    この赤の他人のおっさんの素性がよく分からないが、娘と暮らしたいのだがなんらかの事情でそれがかなわず、赤の他人の女性を娘にみたてて一緒に生活しているんだろうか。きちんと一線は守っているようだが…。
  • 才能がないからなんでもやった。そしたら半端ない自信がついた|俳優・河相我聞のはたらく論

    自分の武器ってなんだろう。 誰かや仕事に向き合った時に、「これが自分だ!」と声高に宣言できる“何か”が、自分の中にあるのだろうか。 多くの人が、どこかでこんなふうに感じたことがあるかもしれません。しかし、こうした疑問は(残念ながら)完全に霧散することはないでしょうし、どんな環境にいても突きつけられるでしょう。学校でも、会社でも、そして芸能界でも、です。 俳優の河相我聞さん。10歳で子役デビューし、芸能界でのキャリアは30年以上。90年代にはアイドル的な人気を博しました。 20代でブレイクした当時は「自分がなぜ売れているのかわからなかった」という河相さん。「芝居も歌も下手くそ。すべてにおいて凡庸だった」と語ります。 芸事において、最も重要に思える才能という武器。ならば、「自分は武器を持っていない」と自ら語る河相さんは、いったい何をよりどころに芸能界を生き抜いてきたのでしょうか? 河相さんの働

    才能がないからなんでもやった。そしたら半端ない自信がついた|俳優・河相我聞のはたらく論
    toyoben
    toyoben 2018/10/15
    “そもそも才能がある人なんてほとんどいないから、自分が凡庸だからって落ち込む必要はまったくないです” これ本当に大事。やりたい事に才能が無いって落ち込む人多いけど、「じゃあ次!」って切り替え重要。
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