1868年、明治政府は王政復古の大号令と祭政一致(祭祀と政治が一致すること)から神道の国教化の方針をとりました。神道国教化で神道と仏教が混ざった神仏習合が終わり、神道と仏教が分離されました。 分離されるだけでなく、寺院や仏像など仏教に関連する物のほとんどが破壊される廃仏毀釈も起こりました。今回は神道国教化と廃仏毀釈を中心に取り上げます。この記事の後半では、廃仏毀釈による影響と江戸時代の廃仏毀釈との違いについて取り上げます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務め