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2010年5月6日のブックマーク (2件)

  • マオの時代のプレカリアート - 梶ピエールのブログ

    少し前だが、現在の中国社会における「臨時工」という存在の位置づけ、そして、例の餃子事件を始め、最近の中国においては何か社会的事件が起きるたびに「臨時工のやったこと」で片付けられてしまう風潮について、ふるまいよしこさんが次のようなとても興味深い記事を書いていた。 http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_1994.htmlより 日における毒ギョーザ事件報道でも、逮捕された呂月庭容疑者(蛇足だが、中国語的にはとてもきれいな名前だ)が犯行に及んだ理由について、「勤務条件への不満」や「正社員になれなかった」などという「臨時工であることの悔しさ」が全面的に強調されている。それはきっと中国側から伝えられた詳細をそのまま記事にするしかなかったのだろうが、「臨時工」という漢字の言葉が持つ意味があまり分からない日の読者にとっては、分かったよう

    マオの時代のプレカリアート - 梶ピエールのブログ
    trinh
    trinh 2010/05/06
    大躍進後に劉少奇の採った政策とは、実は小泉政権のときに行われた派遣労働の規制緩和に比せられるものなのではないだろうか?
  • 門中 - Wikipedia

    門中(もんちゅう、琉球方言:ムンチュー)は、沖縄県における、始祖を同じくする父系の血縁集団のことである。門中は、17世紀後半以降、士族の家譜編纂を機に沖縄島中南部を中心に発達し、のちには島北部や離島にも拡がった。その活動形態や組織結合の度合いは、地域によって大きく異なる。門中に似た血縁集団の概念は、日の同族、中国の宗族、朝鮮半島の貫、ベトナムのゾンボ等、東アジアの漢字文化圏にも見られる。 沖縄県の門中[編集] 門中は、17世紀後半、琉球王府による士族の家譜編纂の開始以降、士族階層を中心に沖縄島中南部で発達してきた。島南部では「ハラ」ともいう。琉球王国時代、士族は、門中ごとに共通の姓(唐名の姓)、また大和名の名乗頭(名の最初の一字)を持もっていた。例えば、向象賢、羽地按司朝秀の場合、「向」は第二尚氏の按司以下の親族の姓、「朝」は名乗頭である。 門中で共同の墓(門中墓、いわゆる亀甲

    trinh
    trinh 2010/05/06
    この説明は間違っている。中国にもベトナムにも門中はない。門中は宗族やゾンホを包括する概念でもない。