ユーザーブロマガのサービスは終了いたしました ユーザーブロマガサービスは2021年10月7日をもちまして終了いたしました。 長らくのご愛顧ありがとうございました。 ニコニコチャンネルトップへ
「ネットオークションなどでは、写真の出来栄えで価格が変わります」そう語るのは、フォトグラファーの上田晃司先生。ニコンカレッジでも講師を務めるプロカメラマンに、「高く売れる」物(ブツ)撮りテクニックを聞いてみました。今回はニコンのカメラを使った解説を行います。 上田 晃司 プロフィールと開講講座 | ニコン カレッジ | ニコンイメージング https://recept.nikon-image.com/nikoncollege/TeacherDetailInit.do?teacherNo=10 モノは望遠で撮れ ブツ撮りで重要なのは、物の形状を的確に表現することです。極端な話ですが、魚眼レンズで撮影された商品写真があったとしても、買うのはためらいますよね。 物が歪んで写らないよう、レンズの選択が必要となります。 形状がしっかりと写るのは35㎜換算で70㎜-90㎜前後。ズームレンズの場合は広角
今回のシンガポール出張で最もインパクトあったのは @tks さんの語学力の驚異的な伸び。一年前のTOEICの点数を聞いて驚愕。さらに中国語も喋り出している。絶対本になると思います。 — Jun Rekimoto : 暦本純一 (@rkmt) 2015, 3月 13暦本先生のこの書き込みがあまりに嬉しかったのと、そろそろ海外勤務1年を超えて、昔の事を忘れだしてしまっているので、思いつくままに書いてみる。 ■概要とスタートライン・僕はマトモに英語を勉強したことがなく、受験で英語を使ったこともなかったので、英語の成績はすごく悪かった。高3の時の偏差値は35とかそのぐらい。社会に出てからもたいして勉強してなかったので、日本出る前はそのぐらい。 ・海外旅行は好きだったので、「英語で喋る(飯の注文とか)」そのものは苦手じゃなかった。とはいえ、バックパッカーもどきで英語ちゃんとしゃべれる人があんまりい
はっきりいってぼくはブロマガなんか書いている時間はない。 でも、任天堂とDeNAの昨日の驚くべきニュースとそれにつづくいろいろな ひとの感想。とくに否定的な論調の記事を見るにつけ、どうしてもひとこと 書かなくていけないという衝動にかられた。 なぜか。それは本当にいまぼくがこんなものなど書いている時間なんてないからだ。 4月10日に書き下ろしで発売される予定の本の原稿がまだ半分しかできていないのだ。 そんなとき、ぼくはネットで喧嘩をしたり、余計な文章を書きたいという衝動を 押さえられなくなるのだ。 でも、本当に時間なくてやばいので感想を要点だけ。 ・ 大前提として任天堂岩田社長は一石三鳥以上は狙っているだろう。 ・ 任天堂がネット戦略をすすめるにおいてもっとも不足しているリソースはおそらくウェブエンジニアではないか。それも大量に欲しいはず。一定レベル以上のウェブエンジニアを数百名程度提供でき
この連載では、ドラゴンクエスト開発者の中村光一さんや、ポケットモンスター開発者の増田順一さんに、かつて彼らがどんな風にゲームを作ってきたかを「自作ゲーム」という観点からうかがってきた。 今回は、いわばその「番外編」である。初めてパソコンに感動した世代の学生が、現在の自作ゲームと変わらぬ開発人数だったファミコンの時代を経て、ゲームが世界規模の巨大ジャンルに発展していくまでを目にする――そんな当時の共通体験を、開発者に最も近いところにいた"最強のウォッチャー"の視点から語ってもらったのが、このインタビューである。 また今回は、ファミ通編集部のご厚意で当時の誌面を見せていただきながら、往年の名物企画たちの裏側も聞かせていただいた。しばしば言われるように、日本の雑誌カルチャーは、単に情報を伝える媒体ではなく、目利きとしての編集者の企画力と職人技で、カルチャーそのものを育ててきた存在でもあった。それ
8月23日にドワンゴで「ニコニコ自作ゲームフェス勉強会」が行われた。参加者は自作ゲームクリエイター約30人で、『俺の屍を越えてゆけ』で著名な桝田省治さんの講演があった。 http://togetter.com/li/710257 (枡田さんの講演部分は筆者の速記です。ご了承ください) この講演が個人的にとても刺激的だったので、備忘録的にまとめておきたい。 俺の理解では、枡田さんは「作品を手に取る人にどう思って欲しいか真剣に考え、そのために作品を設計しなさい」というのと、「普遍的な面白さを見つけるのは想像以上に大変だから、しっかり探しなさい」と言っていた。そのための方法論を、過去の事例をもとに具体的にお話してくれた。さらに「商品を作るときはどのように売れるのか事前にちゃんと設計しなさい」「チームワークをするときは、全員が自然に心を動かされるように話しなさい」ともいっていた。 なんだかまとめて
80年代末に発売された『クインティ』というファミコンソフトをご存知だろうか? このゲームの開発には、一つの伝説がある。それは、当時日本中のゲーマーの間で話題だった、超マニアックなゲーム攻略情報のミニコミ誌を作っていたアマチュア連中が、あまりにゲーム熱が嵩じたあげくに自ら勝手にファミコンソフトを、それもパーツから「自作」してしまったというのである。 ゲーム業界が驚異的な勢いで伸びはじめたこの時代、ゲームの周りには続々と才能も熱意もあふれる若者が集結してきていた。しかしさすがに、そんな話はこの『クインティ』以外には後にも先にもなかった。このゲームを売り込まれたナムコの担当者も、版権を獲得する際に、あわよくばこれに続く若者がいれば……と思ったというが、当然ながらそんな連中が現れることは二度となかったのだ。 その後、この『クインティ』の制作者たちは会社を立ち上げて、本格的にゲーム制作に乗り出してい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く