学問とは「”この世マニュアル”を読むこと」なのではないか? 自然・文化・文明の知識や考え方を知るということは、 「この世のマニュアル」を読むのと同じなのではないか。 確かにPCもケータイも、マニュアルを読まなくても、使えるといえば使える。 しかし、基礎的な操作を知らなかったり、ちょっとしたユーティリティソフトを知らなかったりする人は 傍目から見ても、ものすごく使いづらそうにしている。 そういう人を見ると「ちょっとマニュアル読めばいいのに・・・」といつも思う。 言語・物理・論理 などの知識を得られれば、世の中のしくみがずっとよくわかり、 「この世」を自分がどう「使えるか」「使うか」がはっきり見えてくる。 結果、ケータイがより活用できるように、この世をより生きやすく、より楽しむことができるようになる。 だから学問をすること、学ぶことは「この世を楽しむために」重要なのだ、と。 小、中学校は、その
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