わたしは「だし」さんのことがずっと気になっていた。だしさんは戦国時代に兵庫県の有岡城主であった荒木村重(あらき・むらしげ)の妻だった。彼女について記した『立入左京亮宗継入道隆佐記(たていりさきょうのすけむねつぐにゅうどうりゅうさき)』は「だし殿と申して、一段の美人。異名は今楊貴妃(ようきひ)」とした。また『信長公記』は「きこえある美人」と記した。だしさんは、楊貴妃にたとえられるほどの美しい人だった。 ■奇妙な名前 それにしても「だし」とは、少し奇妙な名前である。その名前の由来も立入宗継の記録にあって、有岡城の大手の「だし」に置いた女房だったからという。なるほど豊臣秀吉が愛した京極竜子(きょうごくたつこ)は伏見城松の丸に住んだので「松の丸殿」と呼ばれた。それと同じように有岡城内の「だし」にあった御殿に住んだ彼女は「だし殿」と呼ばれたのだった。 わたしが、だしさんを気にしていたのは、彼女が美人