鉄道を拒否した城下町は今 鹿野は鳥取市の西部、日本海から10キロほど内陸に位置する、人口3,800人ほどの町です。江戸時代初期に築城された鹿野城を中心とした旧城下町で、400年の古い歴史を誇ります。現在でも江戸・明治期の建物が多く残り、道幅や水路もそのままの形で当時の面影を忍ばせています。 城下町としての歴史は実際には非常に短く、 亀井茲矩 が鹿野藩として治めていた1581年から1617年までの40年弱だけでしたが、城下町や道の計画、産業・新田の開発によって鹿野の基盤が作られ、その善政によって亀井氏は現在に至るまで町の人に慕われています。亀井氏が去った後、地理的な条件によって大きく繁栄することは無かったものの、商業と農業によって町は廃れることなく維持されてきました。 近代化の波が押し寄せ、鉄道が敷かれる時代には、「あんな煙の出るものなんか鹿野には似合わない」と当時の人々が拒否したために、鉄
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