2013年の初冬、母が若年性認知症のひとつである 『前頭側頭葉変性症*1(前頭側頭型認知症・ピック病)』だと診断されました。 更に2015年、突然の介護でてんやわんやしていた私自身が『ADHD』だったと発覚! 私がADHDだと診断されてからは、それまでと母との接し方が変わりました。 けれども母の病気は待つことなく、常に進行していきます。 今回は、母と母を取り巻く環境の変化について触れたいと思います。 www.adhd-tsukiko.com 母の一人暮らしが限界に 一人暮らしの母。 ピック病を発症してからは、ヘルパーさん方の力を借りて生活を整えつつ、 私が母のところへ通う形で1年と数ヶ月、介護を続けてきました。 しかし、母の病気が進むことで状況は常に変わります。 母は食事やトイレ等の問題から、一人暮らしの継続が難しくなりました。 誰かが母と同居して介護をするのか、施設で生活してもらうのか、
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