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ブックマーク / www.shinchosha.co.jp (2)

  • 養老孟司 『身体の文学史』 | 新潮社

    前に養老先生から「ウチダさんは身体を使って考える人だね」と言われたことがある。ご指摘の通り、私は脳の働きをあまり信用していない。それは人間の脳が思いつく「正しいこと」や「意味のあること」の中には、しばしば「生身の身体を以ては実現不可能」なものが大量に含まれているからである。「世界同時革命」とか「ユダヤ人問題の最終的解決」といったプロジェクトはおそらく脳内的には整合的なものとして考想されたのだろうが、身体はその負荷に能く耐えることができなかった。 身体は弱く有限である。それが身体の取り柄でもある。手足も眼も耳もワンセットしかないし、骨も関節も細胞の数も有限である。切れば血が出るし、叩けば折れる。必ずいずれ病み、壊死し、腐ってゆく。私たちはそのような「ありもの」を使い回してしか生きられない。「手元の有限の資源をどう使い回すか」というのが身体問題の立て方である。 脳は人間的尺度を超えた荒誕な想念

    養老孟司 『身体の文学史』 | 新潮社
  • 第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】- 東浩紀|新潮|新潮社

    第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二

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