日本の公的なカレンダーや暦書などでは、1873年(明治6年)1月1日にグレゴリオ暦への改暦が行われて運用されているが、この日以降も、従前の太陰太陽暦(天保暦、いわゆる旧暦)による日付を必要とするさまざまな用途や慣習のために、補助的に収載して使われている。この天保暦による月名の決め方、特に閏月の置き方(置閏法)が、将来に不都合が生じることが明治の改暦以降に明らかになった。 太陰太陽暦を用いてきた日本では、江戸時代末まで暦月の基準となる二十四節気を定めるにあたり平気法が用いられてきたが、1844年(天保15年)に天保暦に改暦した際に定気法が導入された。その結果、太陰暦のひと月の間に中気が2つ入ってしまう事態が起こりうるようになり、それに伴って月名や置閏に関して特別な調整を行う必要が生じた。 具体的には、1912年(明治45年)に天文学者の平山清次が次のように明文化している (以下、平山規則)[