『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』で言う変化とは、「こちら側」から「あちら側」にインフラを移すと、大勢の人間から余剰リソースをかき集められ、新しいサービスひいては社会の可能性が出てくるというお話です。しかし負の側面もある。 われわれは、機械の身体(頭脳)がGoogleに貰えると喜んでいたんだけれども、それは裏を返すとGoogleという巨大な機械の部品(ネジ!?)になることでもあります。もちろんGoogleだけではなく、amazonなども膨大な統計データを収拾していますね。 それに対して一つのビジョンは東浩紀の「データベース化」する社会や「環境管理型権力」の話がありますが、もう一つは『「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)』の人的資本の話があります。今日は後者をとりあげます。ちなみに、どちらも通奏低音として「身体」というモチーフがあります。 社会
先日の地主制度2.0の話、一晩考えて色々追記を書こうとしたら、既に考えてたことが、かなりハテブやトラバで論じられてて書くことがあまりない感じ。 ただ、エントリがグーグル=悪みたいな文脈で認識されてるけど、それはちょっと違う感じデス。 僕はGoogleを悪だとは思っていないし、地主制度も、支配階級も、搾取構造も全然否定しない。というか組織であれ個人であれ、能力と手札とチャンスが均等でない限り、上から下に連なる不平等のレイアウトが生まれるのは、当たり前だと思っている。むしろ、能力と手札とチャンスがマチマチなのに、結果が平等な世界のほうが歪だと思う。ついでに言うならば、自分を駒として見た場合、たぶん僕は盤面が荒れば荒れるほど有利になるタイプのプレイヤーだ。だからGoogleやAmazonが既存勢力を破壊するのは大歓迎な側にいる。 で、僕が気持ち悪いと思ってるのは、WEB2.0というのが下から上に
いちおうウチのサイトは最新情勢を扱うブログのはずなんだけど、実は今までウチのサイトでは「WEB2.0」って言葉を Lelvin LynchによるWeb2.0セッションでのFlex2プレゼンテーション。 って、というどうでもいい文脈で1回使っただけだったりする。というのも、WEB2.0がもつフロンティアとか希望とかって嘘八百なんじゃねーの??という疑念がずっと渦巻いていたからです。最近、そういう思いがますます募ってきたので、一回まとめてみるメモ。 WEB2.0が新しい可能性みたいな文脈で扱われているのを見ると、いつも胡散臭く感じてしまうのだけど、WEB2.0っの世界ってのは実はとっくに利権体制が確立されている気がする。 僕は今しきりに取りざたされてるマッシュアップとか、創発性なんてのは多分WEB2.0の表層であって、本質的な部分はあくまで”Data as next intel inside”
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