もうすぐ新たな元号が発表される。 朝日新聞を含む多くのメディアは「平成最後」や「平成30年間」といった表現をよく使っている。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる、と感じる人も少なくないだろう。 でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。「平成」といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。 そもそも時とはいったい何なのか。誰かが時代を決める、あるいは、ある歳月に呼び名が付けられることを、どう受け止めればいいのだろうか。 ■統治の道具だった スターリン時代の旧ソ連の強制収容所には、時計が無かったそうだ。 ロシアのノーベル賞作家ソルジェニーツィンが、かつてそう書いている。理由はといえば、「時間は囚人のかわりにお上(かみ)が承知しているから」だと。 囚人は収容所のなかで、今が何時かを知るすべはない。「作業を始める時間だ」「食事を終える時間だ」。懲罰的な意味合いも含め、時間は収容所側