機能不全家族と毒親育ちに関するtsuyu-kusaのブックマーク (5)

  • エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ

    私の家はごみ屋敷だった。有名大学に勤めるエリートの父親で、家は閑静な住宅街にあり、娘は私立の中高に通っていると言えば、一見いい家のように見える。 しかし、実際のところは家の中では、母親は家事や育児を放棄し朝から晩までテレビの前に寝っ転がって菓子をいながらテレビを観たり寝たりしており、父親は書斎に引きこもって家族のことなど気にもかけず、兄弟も自室に引きこもって布団をかぶって寝ており、掃除機を何週間もかけられていない家の中はほこりにまみれ、風呂場は黒かびだらけで浴槽には垢がこびりつき、洗面所は汚れた洗濯物の山になり、リビングにもたたまれていない洗濯物が積まれており、台所はコンロもグリルも換気扇も油でどろどろに汚れ、流しには汚れた器が溜め込まれて汚水が貯まり、冷蔵庫の中はかびの生えた品や何も開封されている同じ調味料、トレイからこぼれだした肉片や腐って液体と化した野菜などであふれ返っていた

    エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/28
    子供をサポートしない、サポートするつもりが微塵もない親に育てられた子供の自己肯定感が低いのも無理はない。サポートしないというのは、子供を生かせるつもりがないということだ。
  • 娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ

    娘を罵倒し、嘲笑するのが、母にとって日々の喜びだったのだろうと思う。子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。 容姿について、母から以下のような罵倒・嘲笑をされてきた。 「あんた、目が大きすぎて、おばけみたいで気持ち悪い」 「手足が長すぎて、骸骨みたいで気持ち悪い」 「体が細すぎて、まるで餓鬼だね」 「顔が細すぎて、首も細すぎて、病人と同じ」 「出っ歯で、河童みたい」 「鼻が低くて、笑われる」 「くまがあって、おかしい」 「髪を結ぶと、ひっつめした女中みたい」 「陰気くさい顔で、どんどんブスになる」 そして娘の鼻に洗濯ばさみを挟んで嘲笑ったり、鼻の下を指で押して「(出っ歯が)引っ込め、引っ込め」と馬鹿にしながら歌ったりしていた。スイミングスクールで水着を着ていた私を見て、「体が細くて、

    娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/18
    子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。
  • 贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ

    雑貨屋に入るともう母の日のコーナーが設えられていて、カーネーションが描かれた綺麗なハンカチが飾られていた。薔薇や紫陽花が描かれているものもあった。パステルカラーのピンクや紫の美しい扇子も置いてあった。 こんなに綺麗で美しい品々を、買って贈りたいという気持ちになった。でも私には買って贈りたいと思えるような母親がいないと思うと、哀しくなって涙が出た。 贈りたいと思える母親がいたなら、どれだけ幸せなことだろう。「あら、いいわね」と喜んでくれて、その顔を見てこちらも嬉しくなれたなら、どれだけ幸せなことなんだろう。 私だって、当は、母の日に贈り物をする娘になりたかった。 いわゆる“いい子”だった私は、子供の頃から、病で倒れる30代半ばまで、事あるごとにせっせと母親に贈り物をしてきた。 しかし彼女の口から放たれるのは「あんたは何もしてくれない!」「あたしは子供に恵まれなかった!」「あんたは親不孝だ

    贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/04/08
    母の日に母親に贈り物をしたいと思える人は幸せだ。それはその人が決していい娘や息子だからではない。そして母親に贈り物をしたいと思えない人は、決してその人が悪いわけではない。
  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ

    毎晩深夜2時まで怒鳴られたり叩かれたりしながら勉強させられる日々は、まだ10歳や11歳だった私の心身を次々と蝕んだ。 小学校の登校時間は8時25分なのに、私は8時15分になっても起きることができなかった。肩と背中が凝り固まって重く、立つと目の前がちかちかとして立ち眩みが起きた。今思えば、これは自律神経の乱れによる「起立性調節障害」と呼ばれるものだろう。だから私は遅刻をよくしていた。朝礼で校庭に全校生徒が集まる中、校長先生が朝礼台で話をしている後ろをぼーっとした表情で横切って下駄箱に向かう私のことをクラスメイトがおぼえていて、十数年後に話して聞かせれくれた。そう言えばそうだったかもしれないと、私は哀しくなった。 私の自慢は両目の視力がとても良いことだった。「よくあんな遠くのもの見えるね」「目が大きいから視力がいいのかな」と友達に言われて私は得意だった。しかし眠くなっても目が疲れてもやめさせて

    教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ
  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ1 - 考えるつゆくさ

    小4から始まった私の中学受験で、母親はますます狂人と化した。あれはギャンブル中毒と同じだった。彼女は元来、勝ち負けに異様にこだわる。株にのめり込んで、朝から晩まで家事も子育ても何もかも放棄し、新聞とニュースにばかりい入り、貯金をどんどんつぎ込んで、数百万を失った時期もある。 私の通っていた小学校は文教地区にあり、クラスの多くの子供が中学受験をした。毎週日曜に行われる四谷大塚の全国模試には、皆で駅に集合し20名くらいの団体でぞろぞろと連れ立って行っていた。 大人になってから彼らと中学受験の頃のことを話すと、皆「楽しかった」と言う。「お母さんが自分をサポートしてくれるのが心地よかった」「母と子で協力し合っているかんじが嬉しかった」「勉強だけしていれば良かったから楽だった」など。 トラウマになっていたのは皆の中で私だけだったので愕然とした。私はあの時に「自分は一度死んだ」と思っている。 全国模

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