2022年3月11日のブックマーク (2件)

  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ

    毎晩深夜2時まで怒鳴られたり叩かれたりしながら勉強させられる日々は、まだ10歳や11歳だった私の心身を次々と蝕んだ。 小学校の登校時間は8時25分なのに、私は8時15分になっても起きることができなかった。肩と背中が凝り固まって重く、立つと目の前がちかちかとして立ち眩みが起きた。今思えば、これは自律神経の乱れによる「起立性調節障害」と呼ばれるものだろう。だから私は遅刻をよくしていた。朝礼で校庭に全校生徒が集まる中、校長先生が朝礼台で話をしている後ろをぼーっとした表情で横切って下駄箱に向かう私のことをクラスメイトがおぼえていて、十数年後に話して聞かせれくれた。そう言えばそうだったかもしれないと、私は哀しくなった。 私の自慢は両目の視力がとても良いことだった。「よくあんな遠くのもの見えるね」「目が大きいから視力がいいのかな」と友達に言われて私は得意だった。しかし眠くなっても目が疲れてもやめさせて

    教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ
  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ1 - 考えるつゆくさ

    小4から始まった私の中学受験で、母親はますます狂人と化した。あれはギャンブル中毒と同じだった。彼女は元来、勝ち負けに異様にこだわる。株にのめり込んで、朝から晩まで家事も子育ても何もかも放棄し、新聞とニュースにばかりい入り、貯金をどんどんつぎ込んで、数百万を失った時期もある。 私の通っていた小学校は文教地区にあり、クラスの多くの子供が中学受験をした。毎週日曜に行われる四谷大塚の全国模試には、皆で駅に集合し20名くらいの団体でぞろぞろと連れ立って行っていた。 大人になってから彼らと中学受験の頃のことを話すと、皆「楽しかった」と言う。「お母さんが自分をサポートしてくれるのが心地よかった」「母と子で協力し合っているかんじが嬉しかった」「勉強だけしていれば良かったから楽だった」など。 トラウマになっていたのは皆の中で私だけだったので愕然とした。私はあの時に「自分は一度死んだ」と思っている。 全国模

    教育虐待 中学受験で私は死んだ1 - 考えるつゆくさ