伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」に、「夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう」というくだりがある。たぶん今ぐらいの時期のことを指しているんだろうが、なんともいえない実感がある。時間が「停止」すると、なんだかいろんなところに考えがとっちらかってしまうせいか、柄にもなく思索的になったりする。 だからというわけでもないんだろうが、8月は、いろんな意味で「死」を意識する時期であるような気がする。 一般に私たちは、身近な者の死に接すると、心が痛む。これ自体は自然な心の動きで別に何の不思議もないんだが、興味深いのは、この「身近」の判断基準が、どうも相対的なもののように思われることだ。 近親者や親しい友人などは身近に感じることが多いだろうから、そうした人の死に接すれば痛みを感じるのがむしろ普通だろう。それ以外でも、たとえば友人の近親者などであれば、当人を知らなくても、友人の痛みを感じ取って自分の心も