現代にも通用する脱亜入欧論 1885年(明治18年)3月16日の新聞『時事新報』の社説として掲載された『脱亜論』はあまりにも有名である。 無署名ではあったが、色々な状況から、福沢諭吉本人が書いたものと考えられている。 ただし、彼が脱出すべきアジアとしたのはアジア全体のことでは無く、当時の支那・朝鮮、現在の中韓北3国を主に意味しているといえるだろう。130年以上前の時代において、現在ASEANと呼ばれている地域を含む他のアジア地域は、欧米の植民地になっていたり、極めて国力が弱かったりして重要視されなかったのではないかと考えられる。 なぜ、脱「中韓北」なのかは本記事の主題では無く、脱「中韓北」後に日本がどのように国際社会の中で地位を固めるべきなのかを論じるので、脱「中韓北」に関しては、当サイト1月9日の記事「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」や、2018年12月26日