河森正治NEWプロジェクト“バスカッシュ!”公式サイトBASQUASH.com
いわゆる会社における雑用。 まぁ、古い、でかい会社なので、建前上は色々男女平等なことやってるけど実情は男社会。女ではマネージャー(課長級)より上の人見たこと無い。 数年前のある日、一息ついてちょっと暇になった時期に、社員のお茶会をまとめてくれてる女の子が「ここ1年ぐらい収支が赤字で貯金が尽きそうなんです。」と相談してきた。せっかくなんで会費値上げのお願いを一緒にして回ったのだが、そもそもなんでこの子がたった一人でお茶会まとめてるのか?という疑問がわき、暇だった勢いで何を血迷ったか女子にやらせていた雑用(お茶以外にも色々ある)を男子もやるようにしましょうと偉い人に進言してしまった。 建前上は男女平等で働きやすい職場を標榜しているわが社の偉い人がそれを拒否できるわけもなく、すべては私のほうで取り仕切りますからということで「職場改革」の大義名分を得た俺は早速状況調査にかかった。 ○そもそもその雑
多くの研究者は、当時呼ばれていた「支那事変」ではなく、「日中戦争」と呼称する*1。「支那」に替わり「中国」という呼び名が一般的になったことが一つの原因であるが、では「事変」ではなく「戦争」と呼ぶのはなぜだろうか。 1960年代の代表的な研究である、日本国際政治学会・太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』(朝日新聞社、1962-63、全8巻)は、第3・4巻を「日中戦争」上・下としているが、第4巻、23頁に次のようにある*2。 「事変」という名の全面戦争 戦争が華北から上海へ波及するにおよんでは、もはや「事変」を短期の局地紛争として収拾する可能性は失われていた。それにもかかわらず、満州事変以来なしくずし的な武力行動の積重ねの間に鈍磨した感覚は、伝統的な中国への軽侮感情とも結びついて、政府・軍部が事態の本質をみぬいたうえで、適切な政策指導を打ちだすのを妨げたのであった。 数十万の大軍を送った
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く