同じ日、モンゴル人民共和国の兵士たちも、国境を越え、日本が支配する中国側へと攻め入っている。 モンゴルでは「解放戦争」と呼ばれるこの戦争に参加したソ連・モンゴル連合部隊の人員は4万2000人。モンゴル兵士のみの数は残念ながら分からなかった。 日本側でノモンハン事件、モンゴル側でハルハ河戦争と呼ばれた1939年の戦いに参加したモンゴル兵士の数は8775人(当時の全兵力の半数以上)であり、その後増加し、1945年7月には臨時に召集された兵士を含め総人員は4万1000人に上った。 やはり半数を振り分けたとしても多く見積もってもこの数の5割に満たない程度である。実際はもっと少なかったであろう。 この戦争、日本から見れば、ソ連が不可侵条約を破って始めた不正義な戦争であるが、この戦争に参加するモンゴル人たちから見れば別の形にこの戦いが見えていた。日本の支配下にあるモンゴル人同胞の解放である。 『ロシア