歌舞伎で、名前を受け継ぐ「襲名」。 これは、江戸時代のある時期までは、常識ではなかった。 江戸歌舞伎の看板役者、初代、市川團十郎(1660〜1704年)。 悪人を相手に大立ち回りを演じる「荒事」を生み出し、 隈取(くまどり)と呼ばれる独特の化粧も考案。 評判が記された史料には、 「おそらく この人ほど 出世なさるる芸者 異国本朝に 又と有るまじ(團十郎ほどの看板役者は外国にも日本にも二度と現れない)」 とあるほど、当時の日本を代表するスーパースターだった。 そんな團十郎に思いも寄らぬ悲劇が襲いかかる。 なんと、1704年、役者仲間に刺殺されてしまった。 突然の悲報は江戸中を駆け巡り、人々は悲しみに暮れた。 それだけではない。 看板役者を失ったことは、座元と呼ばれる興行主にとっても、経営を揺るがす大打撃だった。 歌舞伎界を襲った人気凋落を招きかねない緊急事態。 この大ピンチを救ったのが、「名