時代を同じくして名捕手、名監督の道を歩み、しのぎを削り合ってきた森祗晶氏(83)。逸話をひもときながら悼んだ。 ◇ ◇ ◇ 古い言い方だが「戦友」と呼ばせてもらう。1957年(昭32年)、高知でのオープン戦で初めて会った。以来、半世紀以上の付き合いだが、私以上に野村さんと野球の話をした人間はいないだろう。気がついたら朝だった、ということが一体、何度あったか。 違うリーグだからこそだが、日本シリーズの前には当時西宮にあった野村さんの自宅に泊まり込み、相手チームを研究した。阪急と初めて対戦した67年(昭42)、主軸を打つスペンサーをどう抑えるか。クセや配球を読むのがとてもうまいと教えてもらい、それを逆手に取らせてもらった。 第2戦の初回無死一、二塁でスペンサーを3球三振に仕留めた。当時の巨人は2球で追い込んだ場合、3球目は外して様子をみていた。スペンサーも絶対に外してくると思ったのだろ