シカゴの若いDJが、盗まれたLPレコードと初期のドラムマシーンにインスパイアされて全く新しいジャンルを確立するまで。 by Jesse Saunders 全ての始まりはドラムマシンだった。 1983年の夏、僕はシカゴでプレイするDJで、毎週金曜日と土曜日に、街で1番大きなクラブのひとつ「The Playground」でニュー・ウェーブ、エレクトリックヒップホップ、ディスコ、シンセポップなど、なんでもプレイしていた。The Playgroundは、あらゆる階級のシカゴ人たちが刺激的に入り混じることで知られていて、僕の仕事は、全ての人を同じようにエレクトロミュージックに合わせて踊らせることだった。 僕がローランドのTR-808を初めて触ったのもその頃だっただろう。それはプログラムで制御できるドラムマシンの先駆けで、すぐに僕の自慢であり楽しみになった。僕は、クラブのお客さんたちを個人的なフォーカ
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