はじめに:ラディカル批評が生まれでてきた<根源> ヴァルター・ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術』や『写真小史』、『パサージュ論』、鏡の都パリやベルリン、そして作家のカフカやボードレール、ブレヒトについての論考などで知られる、ジャンルを超越したラディカルなドイツの批評家です。 「複製時代のすすんだなかでほろびていくものは作品のもつ<アウラ>である」といった有名な考え方について聞いたことがあるのではないでしょうか。この<アウラ>は、もとをただせば、ベンヤミンが幼年時代に感受していた至福の神的経験や美的陶酔にいきつくもので、勃興する新たな技術文化の真っただ中に成年期を迎えたベンヤミンが、自身の「マインド・ツリー(心の樹)」を辿ることで再認識して生まれでたものでした。ベンヤミンは崩壊しつつあるドイツ・ブルジョワ階級の末裔だったため、幼年期の楽園(エデン)にはあって、それが「今はーない」状態を敏感
少年の頃は、遅刻と欠席の常習者 ▶(1)からの続き:ベンヤミンは10歳になるまでは、裕福な家庭の子弟だけが通う教育スペースで教育されています。それ以降は9年制のカイザー・フリードリッヒ高等中学校(ギムナジウム)に入学します。ベンヤミンは放課後に居残りをさせられたり、鞭打ちの懲罰があるギムナジウムの権威主義的な教育スタイルと学校生活にからっきし馴染めませんでした。「何もかもどうにでもなれ」と投げやりに。ベンヤミンは遅刻と欠席の常習者になります。もともと体力がある方でなく少しでも病気に罹ればこれ幸いに学校に登校せず、ベッドの脇の壁に影絵をつくって遊んだり布団の中で空想にふけるばかり。ようするに学校に行くのが嫌でたまらなくなってしまったのです。 林間学校と「自由学校共同体」について 12歳の時、ベンヤミンは、体調を崩してチューリンゲンにある林間学校に入ります。人生とはわからないものです。心身の不
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