カントとヘーゲルのあいだ 熊野純彦 アリストテレスはプラトンに五〇年ちかく遅れて生まれ,やがてアカデメイアに学び,師のいわゆる(・・・・)イデア論を批判する.ライプニッツはデカルトより五〇歳の年少者,後者の永遠真理創造説に疑問を呈して,無秩序を生んだ神,たとえば数学の公理を別様にさだめた創造主もまた賞賛されるべきなのかと自問した.メルロ=ポンティとフッサールとの年齢差はほぼ五〇年,見果てられた超越論的現象学の夢のすえにメルロ=ポンティは,世界と私とをひとしく紡ぎあげる「肉」の次元を問いはじめる. カントが生まれてからヘーゲルが産声をあげるまでに四六年の歳月が流れた.『論理学』初版・序文をヘーゲルは,哲学的な思考様式に「完全な変更」が加えられてから,ほぼ二五年が過ぎ去った,と書きはじめる.一八一二年から二五年をさかのぼる一七八七年,カントは『純粋理性批判』第二版を公刊していた.ヘーゲルのいわ