"お願いだから、もう、子どもを殺さないで欲しいのです~「児童虐待の実際」"の続きである。 <元祖ヤンママに育てられた私の記憶> 私が小学校低学年の頃ことだ。学校が終わり、外で遊んだ後、自分でカギを開けて家に入ると、きれいに片付けられた誰もいない部屋のテーブルに、母が作ってくれた二人分の「夕食」が置いてあった。たまに、疲れて食事を作れないこともあったようだが、そんな時はお金が置いてあった。 そしてテーブルには、 「あたためて食べてください。きょうも、おそくなるから、ねててね」 「エスミ(近所の売店)でパンをかって食べてください。ごめんね」 などとメモがあった。 私は夕食を暖めて食べ、風呂に入った後、テレビを見たり宿題をしたりしながら、毎日、夜11時過ぎ頃まで「カギを開ける音」を待った。 母は「水商売」につとめていたため。家に帰ってくるのが、夜の11時過ぎになるからだ。また、彼氏と遊んでいて遅