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ブックマーク / www.d4.dion.ne.jp/~ponskp (1)

  • 電探の重要性を帝国海軍軍令部が真から気づいたとき

    ► 海軍電測学校の開校は1944年9月1日からである。初代の学校長は高橋雄治大佐。 あまりにも遅きに失した。 これは 「あ号作戦」の大敗で後がなくなった時期であった。 海軍が開発した電探(レーダー)はこちら 南太平洋海戦(1942年10月26日)、日の空母艦載機の攻撃を受け大きく傾いた空母「エンタープライズ」 すでに、艦橋や櫓にはレーダーアンテナが観察できる。 FDレーダー ドップラー効果による機速測定用レーダーである。もう一つは 対空見張用SCレーダーアンテナ。 早くから実戦経験を積み重ね1年8カ月後のマリアナ沖海戦で空戦管制システムを完成させたのである。 日海軍でも昭和16年(1941)12月には艦船に搭載する対空見張用レーダー二号一型の試作機が完成する。 そして、1942年12月二号二型の量産が決定されたが、艦政部はその資材を充分に提供しなかった。  紆余曲折をえながらも

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