辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 寄席に行ったときのことである。高座に上がった漫才コンビの米粒写経が、「森」と「林」ってどう違うのか、ということをネタにしていた。米粒写経のツッコミ役は日本語学者で、国語辞典の収集家としても知られるサンキュータツオさんなので、どのような内容になるのかと思わず身を乗り出した。すると、相方の居島一平(おりしまいっぺい)さんが少しぼけたあと、サンキューさんが、「林」は「松林」「竹林」のように一種類の樹木からなり、「森」はいろいろ樹木からなる点が違うと説明していた。これに対して居島さんが、「じゃあ、雑木林は?」とぼけるのかなと思ったら、そうはならなかった。もっとも、そんな素人が考えるような展開にしたら漫才ではなくなって、ことばをテーマにした講演会のようになってしまうだ
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 変なタイトルを付けたが、痴漢行為について、法律的な解説をしたいわけではない。 『日本国語大辞典(日国)』で「痴漢」を引いてみると、以下のような2つの意味がある。 (1)愚かな男。ばかもの。たわけもの。 (2)女性にみだらな行為をする男。 「痴」はおろか、「漢」は男という意味で、「痴漢」という語は、本来は(1)の意味で使われていた。それがのちに(2)のような、女性に淫らな行為を働く男や、そのような行為をいうようになった。その意味がいつ頃から広まったのかという話をしたいのである。 なぜそのようなことを考えたのかというと、NHK Eテレの番組の某ディレクターさんからこんな話を聞いたからだ。彼は、「痴漢」という語が(2)の意味で使われるようになったのには、作家の大江
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 ご飯やみそ汁などを器に盛ることを、何と言っているであろうか。 「よそう」だろうか、あるいは「よそる」だろうか。他にも「盛る」や、「つぐ」と言っているという方もいらっしゃるかもしれない。 だが、今回話題にしたいのは「よそう」か「よそる」かということである。 私のまわりにも、「ご飯をよそる」と言っている人がけっこう多い気がする。しかし、本来の言い方は「よそう」である。漢字で書くと「装う」、つまり服装や用具などを整えて身支度をするという意味が原義である。現代語では衣服などの場合は「よそう」が変化した「よそおう」を使うことが多いが。 「よそう」は、飲食物を整え、用意するという意味から、飲食物を器に整えて盛るという意味になり、さらに飲食物を器に盛るという意味に変化して
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 おかしなタイトルだが、日本ではいつ頃からbaseball(ベースボール)を「野球」と言うようになったのかという話である。コロナ禍で開幕が遅れていたプロ野球も、無観客ではあるが開幕できそうだというので、一ファンとしてこんな文章を書いてみた。と言っても、『日本国語大辞典(日国)』にかかわる話なのだが。 その『日国』だが、「野球」の項目で引用している一番古い例は、押川春浪の『海底軍艦』(1900年)である。ところが、同項目の語誌欄を見ると、「明治二六(一八九三)年頃に一高ベースボール部の中馬庚らが『野球』の語を考え出し、同部史(明治二八年)の表題として用いた。」と書かれている。それなら、なぜ中馬の書いたものから「野球」の用例を探さなかったのだろうかという、ほとんど
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 メディアもインターネットも、新型コロナウィルス関連の情報であふれかえっている。だが、それらの中には不確かな情報もかなり紛れ込んでいるようで、「デマ」、「ガセ」だから鵜呑みにしないようにと、注意を呼びかけているものもしばしば見受けられる。そうなると、いったい何を信じていいのかわからなくなってくる。現代のようにさまざまな情報が飛び交うというのも、善し悪しなのかもしれない。 ところで、この「デマ」と「ガセ」だが、今は同じような意味で使われているものの、本来はまったく違う意味だったということをご存じだろうか。2語を合わせると「でまかせ」という語に似ているが、「でまかせ」は「出・任せ」で、その場で口から出るにまかせてしゃべるでたらめのことをいい、まったく関係がない。
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 この文章を読む前に、下に添えてある写真をご覧いただきたい。車を運転していて、この道路に大きく書かれた文字を見て、とっさに意味が理解できるという人はどれだけいるだろうか。この写真は、今年10月に、広島県福山市鞆港(ともこう)で撮影したものである。 鞆港は、この地に面する海は鞆の浦と呼ばれ、古くから海上交通の要所として栄えてきた。古い町並みが残っていてとても趣があるのだが、こうした町に多く見られるように、道幅がとにかく狭い。 鞆港には、私とほぼ同世代の男3人組で行ったのだが、揃って関東の出身である。そのため私以外のふたりは、「離合可能」なんてなんのことなのかさっぱりわからないと言っていた。私はというと、「離合」について以前このコラムで一度書いたことがあるので、意
タイトルは、最近話題になったフレーズだが、ご記憶だろうか。お笑い系の芸能プロダクション、吉本興業の社長が発したということばである。このプロダクションに所属する芸人さんたちが、特殊詐欺グループの主催する会に出たり、プロダクション会社を通さない仕事、いわゆる「闇営業」をしたりしたという一連の騒動のときに、社長が芸人さんたちに説明を求めた際にそう言ったらしい。 このことばを聞いたとき、「おや?」と思うことがあった。と言っても、この騒動そのものに関してではない。この、「テープを回してないやろな」という表現についてである。「テープを回す」って、今時、テープを使った録音機を使う人などいるのだろうかと思ったのである。人の話を録音するときは、今は、ボイスレコーダーやICレコーダー、あるいはスマホを使うのではないか、と。 そのためだろうか、この騒動をネタにした吉本興業所属のウーマンラッシュアワーの一人が、舞
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 計画などがつぶれたり、だめになったりすることを、俗に「ポシャる」と言う。「新事業は資金が調達できずポシャった」などと使う。『日本国語大辞典(日国)』によれば、徳川夢声のエッセー『夢声半代記』(1929年)の、「新宿座は一週間でポシャったのでした」(新宿座)という例が現時点では一番古いようだ。 『日国』をはじめ、ほとんどの国語辞典は、この語の見出しを「ポシャる」と「ポシャ」だけカタカナで表記している。多くの人も実際に文章の中で使うときは、「ポシャる」と書くだろう。だが、なぜカタカナで書くのかと考えたことはあるだろうか。 このように書くのは理由があって、「『ポシャ』は『シャッポ』の『シャ』と『ポ』を逆にしたものの変化した語か」(『日国』)と考えられているからであ
辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。 国語辞典マニアが集う、「国語辞典ナイト」というイベントがある。『三省堂国語辞典』の編纂者・飯間浩明さんを中心に、辞書の熱烈な愛好家が運営しているイベントである。その第9回の公演が今年4月に東京の渋谷であり、私もゲストとして呼んでいただいた。このイベントのチケットは発売直後に売り切れるほどの人気だと聞いていたので、辞書編集者として喜んで参加させてもらうことにしたのである。 承諾の返事をすると、しばらくしてイベントの告知内容がメールで送られてきたのだが、それを見て、驚いた。 「今回は国語辞典界の超レジェンド登場!『日本国語大辞典』編纂の神永曉さんが奇跡の出演決定です!」 とあったからである。そして、いろいろと考えさせられた。 もちろんそれは、私が「国語辞典界の超
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