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!tumblr-techとcommunityに関するtyruのブックマーク (4)

  • CentOS 6.0が教えてくれたこと - いくやの斬鉄日記

    オープンソースからハイスクールフリート、The Beatlesまで何でもありの自称エンターテインメント日記。 CenOS 6.0がリリースされました。 CentOS 6.0のリリースに関するゴタゴタをまとめるのは別の誰かにお任せしますが、ようはリリースが予定よりも半年以上遅れました。 リリースができないOSSプロジェクトはいろいろと問題があるなんて、今更いうまでもないですね。 とはいえ、多少のゴタゴタはどこのOSSプロジェクトにもあるので、それはいいとします。 問題はCentOSは今後とも安定してリリースされるのか? ということです。 いえ、現時点ですでに安定してリリースされていないので、今後とも、というのはおかしいわけですが。 今更説明する必要もないのですが、CentOSはRed Hat Enterprise Linuxのコミュニティビルド版です。 ようは配布されているソースからRed

    CentOS 6.0が教えてくれたこと - いくやの斬鉄日記
  • 私は何故Perlを続けたのか | taro-nishinoの日記 | スラド

    私は以前、Jonathan Rockway氏の"何故、私はPerlを続けるのか"を紹介したことがありました。このエッセイの原題は勿論"Why I stick with Perl"です。ところが、最近Jeffrey Kegler氏がよく似た題名で"Why I stuck with Perl"を書いております。題名の違いは、現在形か過去形の違いだけですが、視点は全然違います。前者はモジュールの再利用の視点からCPANを見ており、後者は総合テスト環境(つまり、cpantestersのこと)の視点からCPANを論じています。 他言語の人が分かっていないのは、CPANをただのモジュール格納庫としてしか見ていないことです。cpantestersのことを全然分かっていないのです。テストするのみならず、モジュール作者がテスターにコンタクトすれば、もっと詳細なデータや、それどころかもうパッチすら用意している

  • Why I Left OpenBSD

    I was a long-time OpenBSD user since the OpenBSD 2.7 days, and cut my teeth on Unix development there. I was attracted by its focus on security and conscientious coding practices. I was happy through the early 2.x days, but the more I got involved in developing for OpenBSD the more I was dissuaded from doing so. Part of the issue was this focus on security. After I began to use OpenBSD at home and

    tyru
    tyru 2010/07/20
    「Theoが哲学的な姿勢から理解を示さないのか、アスペルガー症候群のようなものからそうせざるをえないのかは分からないが」
  • Perl 5は生き返った! 新たな前進を再開したPerl

    Perl 5コアの開発はここ数年、負の連鎖が続いていた。リリースは滞り、開発者は去り、将来の見通しはどんどん悪くなっていった。ここで話すのは、Perl 5の開発におけるこの悪い流れがどのようにして、楽しく、前向きで、エキサイティングなものに変わったか、というストーリーだ」 Perl 5のコアデベロッパーで、ActiveStateの技術リードでもあるJan Dubois氏は、4月13日に同社のブログにポストしたエントリ「Perl 5 is Alive」で、このように書き出しています。 Perlは、機能が高度化し複雑になったPerl 5までのバージョンを見直し、新たに作り直そうと、2000年にPerl 6の開発が始まりました。しかしPerl 6は10年たったいまでもリリースされておらず(今月に最初のバージョンがリリースされるといわれていましたが…)、一方でPerl 6の開発が始まってからは、

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