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ブックマーク / number.bunshun.jp (31)

  • 「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)

    100回大会の決勝を観戦した清原和博氏。1985年夏の決勝で2塁打を放ち、PL学園を優勝に導いた日と同じ8月21日だった。 金足農業、最後の打球がライトへ上がった。白球をつかんだ大阪桐蔭の選手たちが、グラウンドの真ん中に歓喜の輪をつくる。 その瞬間、清原氏は立ち上がり、何かに引き寄せられるかのように身を乗り出した。かつてのPL学園に代わって最強の称号を手にする大阪代表校、すべてを出し切った秋田の県立校、そして拍手に包まれる甲子園球場、スタンド最上部から、それらをい入るようにじっと見つめていた。 清原氏はなぜ、甲子園へきたのか。何を求めてきたのか。 甲子園に行けたら何か変われるかも。 「甲子園に行きたいです。100回目の夏、甲子園に行けたら、何か変われるかもしれない。そう思うんです――」 清原氏から、最初にその言葉を聞いたのは去年の終わり頃だったと記憶している。 覚醒剤取締法違反で逮捕さ

    「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)
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    tzk2106 2018/08/22
    生きていくのが辛いとき、自分の原点と思える場所に行くのは悪いことじゃないよ。
  • ミラクル金足農業が34年前に桑田真澄を追い詰めた夏。(阿部珠樹)

    吉田輝星の力投と劇的な勝利を重ね、準決勝に進出した金足農業。 34年前の夏の準決勝で対戦したのは、桑田真澄、清原和博を擁する PL学園だった。初出場でありながら、KKを土俵際まで追い詰めた 1984年のあの夏を、当時の監督とエースの証言で振り返った。 Number834号(2013年8月22日発売)掲載のストーリーを特別に公開します。 1984年の甲子園は北風が強かった。東北の高校が大活躍したのだ。まず、春の選抜では岩手の大船渡高校が準決勝まで進出し、ファンを驚かせた。初出場の県立高校がここまで健闘するとは予想外のことだった。 夏は秋田の番だった。予選を勝ち抜いた初出場の金足農業が初戦を突破すると、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ち抜いて、準決勝まで勝ちあがったのだ。県立の、初出場の、しかも農業高校の野球部がそこまで行くとは大きな驚きだった。 「全く自信がなかったわけではありません」 当時の監

    ミラクル金足農業が34年前に桑田真澄を追い詰めた夏。(阿部珠樹)
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    tzk2106 2018/08/19
    桑田真澄はほんと凄かったんだなぁ。
  • トルシエが考える日本代表の問題点。「西野にナショナリズムを託したのか?」(田村修一)

    日本代表新監督就任記者会見での田嶋幸三会長と西野朗監督。お祝いの雰囲気が少なく、西野氏の硬い表情が印象的な会見となった。 フィリップ・トルシエは現在、中国1部リーグの重慶当代力帆でスポーツディレクターをつとめる傍ら、自らのワイナリーをボルドー・サンテミリオン地区に有し、2014年からワインの製造も手掛けている。と同時に、日サッカー、とりわけ日本代表については、常にその動向を気にかけ、熱い視線を向けている。 ヴァイッド・ハリルホジッチ解任騒ぎも一段落し、いよいよワールドカップ大会に向けての最終段階に入った感があるが、当のところ、トルシエは突然の解任劇と西野朗新監督率いる日本代表の可能性をどう見ているのだろうか――。 監修:田村修一 ――ヴァイッド・ハリルホジッチが日本代表監督を解任されたのは驚きでしたか? 「驚いたことは驚いたが……その答えはウィとノンの両方になる。 まず驚きであったの

    トルシエが考える日本代表の問題点。「西野にナショナリズムを託したのか?」(田村修一)
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    tzk2106 2018/05/21
    五分割だから読んでないけど、いつまでトルシエにすがるんだよ。
  • 国際大会で日本の野球が不評って?勝つための戦術と“マナー”の問題。(氏原英明)

    その反応からは、日高野連にとっても寝耳に水の話ではないことが読み取れた。 「8回の盗塁、あったねぇ」 大量得点差における試合の進め方について、筆者が聞いた時だ。 実は国際大会において、日本代表の戦い方はあまり好意的に捉えられていない。その問題について尋ねたところ、冒頭のような返答をもらったのだ。 このほど閉幕した第90回選抜高校野球大会は、大阪桐蔭が連覇を果たした。 今大会は点の取りあいになった試合が多く、年明けからの仕上がりに差が出るセンバツらしく、大差がつく試合もいくつかあった。大阪桐蔭は花巻東に19-0で勝利している。昨年の大会でも、報徳学園が21得点を挙げた試合があった。 そんな大差の時に問題になるのが、試合の進め方だ。 甲子園ではどれだけ点差があっても手を抜かないことが相手への礼儀だとされるが、そこまで相手を痛めつける必要があるのか、という視点もありうるものだ。 こんなことをテ

    国際大会で日本の野球が不評って?勝つための戦術と“マナー”の問題。(氏原英明)
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    tzk2106 2018/04/18
    欧米の選手が勝てるように容赦なくルール改正してくるオリンピックはどうなのよ。都合悪いときだけマナーを持ち出すなよ。
  • 大谷翔平が最速“インストール”したプホルス先生の「ヒールダウン打法」。(鷲田康)

    人選手の多くが悩んだメジャーリーグへの適応。この短期間での大谷の尋常ならざる急成長ぶりには理由があった。 翔タイムが続いている。 開幕から約2週間、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手のメジャーデビューを追ってオークランドからアナハイムと米国を旅してきた。 半信半疑だった現地のメディア、関係者も、打者としていきなり3連発した直後に、今度は投手として7回途中まで“完全未遂”のピッチングを見せられては、もはや二刀流を認めざるをえないのは言うまでもない。手のひらを返したように、大谷賛歌が現地を賑わせていることは読者もご承知の通りである。 それではなぜ、ここまで大谷が絶好なスタートダッシュを切れたのか? 2週間の取材旅行の中で感じた1つの要因をここで書いてみようと思う。 オープン戦では投打に出遅れたように見えたが……。 当初から投手ではある程度、早い段階から結果を残せるが、打者では少し苦労す

    大谷翔平が最速“インストール”したプホルス先生の「ヒールダウン打法」。(鷲田康)
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    tzk2106 2018/04/13
    仕事でも取り入れて自分のモノにするのが上手い人っているよね。
  • スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)

    平昌五輪で金3、銀2、銅1、計6個のメダル獲得と入賞9という成績を残した日スピードスケート勢。メダルゼロどころか入賞もわずか4だった'14年ソチ五輪からの大躍進の背景とは――。 '14年6月。日電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督は、3人の選手を連れてスケート王国のオランダに向かった。'10年バンクーバー五輪では同社(当時)の長島圭一郎と加藤条治が男子500mでそれぞれ銀、銅メダルを獲得したが、ソチ五輪では2人とも入賞止まり。女子中長距離の高木菜那は入賞からも遠かった。 今村監督は高木、入社1年目のウイリアムソン師円ら中長距離の3選手とともに、オランダのプロチーム「ニューバランス・スピードスケートチーム」の門を叩いた。 簡単に受け入れてくれた訳ではない。日電産サンキョーが同チームのスポンサーフィーを払っての参加だった。今村監督はスケート仲間の知人を頼って情報を収集し、「良いコーチ

    スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)
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    tzk2106 2018/02/27
    先を行く国の門を叩き、真摯に学び実践する。かつて産業界が歩んだ道と同じなんだな。あと、合宿は年間300日ってすごい。
  • 銀の平野歩夢と、金のホワイト。2人だけが知るハーフパイプ新次元。(松原孝臣)

    ソチ五輪では15歳、中学生で銀メダルを獲得。以降もXゲームをはじめ、数々の活躍で世界のトップスノーボーダーの1人としての地位を確立してきた。 2度目となる今回の平昌五輪には、4年前に手にすることができなかった世界一だけを目指し臨んでいた。そして、そのために必要なのは前人未到の4回転の連続技だと見定めていた。 世界一だけを目指して戦った2人。 今年1月のXゲームでは、フロントサイド(FS)ダブルコーク1440からキャブダブルコーク1440への連続技に世界で初めて成功。4回転の連続技を完成させたことで、平昌の金メダルも手が届くところにいた。 そんな平野にとって最大のライバルが、ショーン・ホワイト。 トリノ、バンクーバーと2大会連続金メダル、押しも押されもせぬスノーボードのスーパースターだ。だが、ホワイトはソチでは4位。彼もまた雪辱を期し、世界一を取り戻すことしか考えていなかった。 世界を代表す

    銀の平野歩夢と、金のホワイト。2人だけが知るハーフパイプ新次元。(松原孝臣)
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    tzk2106 2018/02/15
    スノボ競技がこんなに面白く感じられたのって初めて。二人ともほんと凄かった。突き抜けた戦いとそこに垣間見える努力の背景が美しかった。素晴らしい頂上決戦だった。
  • 非情マクラーレンとホンダの涙。掌返しに耐えたスタッフの3年間。(尾張正博)

    マクラーレン・ホンダ最後のレースとなったアブダビGPにて、ホンダのチーフエンジニア中村聡は最後まで仕事を貫いた。 ホンダがマクラーレンと組んで戦う最後のレースとなった2017年アブダビGP。チェッカーフラッグが振られた瞬間、思わず涙を流した男がいた。ホンダのチーフエンジニアを務める中村聡だ。 込み上げてきたのには、理由があった。アブダビは'15年にホンダがF1に復帰するにあたって、マクラーレンと組んで初めてテストを行なった場所だった。 エンジンを始動することさえままならない、最悪のスタートとなった'14年のアブダビ・テスト。そんなホンダに、マクラーレンは温かい手を差し伸べ続けた。開幕までホンダの負担を軽くしようと、エアボックスやバッテリーパックなどの製作をサポートしたのである。 「もし、彼らのサポートがなかったら、われわれはレースできていなかったかもしれません」(中村) 2年目までは「間違

    非情マクラーレンとホンダの涙。掌返しに耐えたスタッフの3年間。(尾張正博)
    tzk2106
    tzk2106 2017/12/04
    昔のホンダみたいに全社あげてF1に取り組んでるわけじゃないから、中途半端になっちゃうのはわかるけど、なら何故やってんだって話だよなぁ。
  • 「暴力」を意識しなかった日馬富士。こんなにも遠かった世間と角界の距離。(プチ鹿島)

    今回のスポーツ新聞時評のテーマは、11月14日の火曜日からすべてがはじまったと言っていい。 『ビール瓶で殴打 日馬 暴行疑惑 貴ノ岩頭蓋骨骨折』(スポーツニッポン) この衝撃的な1面がスポニチで報道されて以降、まだ報道合戦が続いている。 当初は「ビール瓶で貴ノ岩を殴った」と伝えられたが、そのあと「ビール瓶は使っていない」という情報が出てきた。一体何が事実なのかわからない面妖さ。それは一般社会からはなかなか見えない相撲界そのもののようにも思える。 「あちらの世界」(相撲界)と「こちらの世界」(一般世間)。この橋渡しをしている1つがスポーツ新聞だ。ただ、同じテーマでも社説の論調が各紙違うようにスポーツ紙でもスタンスは異なる。それが新聞の読みどころ。 「日馬富士引退」という大きな動きがあった翌日(11月30日)。各紙の「記者の目」を見てみよう。相撲担当が見解を述べる、いわば社説のようなものである

    「暴力」を意識しなかった日馬富士。こんなにも遠かった世間と角界の距離。(プチ鹿島)
    tzk2106
    tzk2106 2017/12/02
    三菱自動車も東洋ゴムもシャープも東芝も神戸製鋼も東レも相撲協会も自浄作用が働かないのが日本の名門。
  • ドルトムントCEOが語った経営と愛。「日本人はそう思わないんですか?」(山口裕平)

    クラブのポロシャツで登場したヴァツケCEO。経営者というよりも、サッカーとドルトムントを愛する人という印象が強烈だった。 浦和レッズのホーム、埼玉スタジアム2002があれほど赤以外の色で染まるのは、代表戦を除けばあまり見られない光景だった。 香川真司が所属することで知られるドルトムントは、世界で最も観客数が多いサッカークラブであり、そして実は2000年代半ばには破綻の危機に瀕していたクラブでもある。 そのドルトムントを率いるハンス・ヨアヒム・ヴァツケCEOは、経済的V字回復を果たした敏腕経営者である。しかし同時に、それ以上にサッカーを愛するごく普通のいちサッカー好きの側面も持ち合わせていることが、話を聞くうちにわかってきた。 ヴァツケCEOサッカーのどこに惚れこみ、そしてどのようにドルトムントを現在の地位まで導いたのか。 ――ドルトムントのファンは今や世界中にいます。先日も年間チケット保

    ドルトムントCEOが語った経営と愛。「日本人はそう思わないんですか?」(山口裕平)
    tzk2106
    tzk2106 2017/07/23
    とても良い記事。Jリーグのみならず、Bリーグにも通じる。そればかりか、日本経済にも当てはまる気がするよ、バブルよもう一度じゃないんだよ、偉い老人達にはわからないんだろうけどさ。
  • 「人と比較せず自分の中で少し頑張る」イチローが野球少年に送った人生訓。(笹田幸嗣)

    「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」での閉会式にて。参加した少年野球選手たちの中から、きっと“未来のイチロー”も生まれるはず。 イチロー自らが大会長を務める「イチロー杯争奪学童軟式野球」は、2016年末に21回目の大会を迎えた。 未来の野球界を背負う学童たちに、勝つことの喜び、負けることの悔しさ、また、野球というスポーツが持つ様々な要素を体験してもらい、そこから多くを学んで欲しい――。 大会長にはそんな強い思いがある。 だからこそ、閉会式には自らが毎年足を運び、学童の目線に立ちメッセージを贈る。メジャーの世界でも最高峰の立場に上り詰めた実体験から発せられる言葉の重みと説得力は、まごうことなき金言である。 イチローは人の2倍も3倍も努力したわけではない!? 2016年12月23日。 愛知県西春日井郡豊山町で行われた閉会式には、同大会からプロ野球選手となったDeNAの関根大気外野手(21歳)も駆

    「人と比較せず自分の中で少し頑張る」イチローが野球少年に送った人生訓。(笹田幸嗣)
    tzk2106
    tzk2106 2017/02/02
    他人との比較を始めちゃうと基準がころころ変わっちゃうし、頑張るより居心地の良い位置を見つけてしがみついちゃうんだよね。あと、動きに無駄が多くなる。自分に満足せず自分に課した目標と向き合うことこそ大事。