目立つピンストライプ地のスーツに、原色のネクタイ。弁護士・久保利 英明の風貌は、それとなく威圧感を醸し出す。株主総会で特殊株主と渡り合ってきた経歴を聞けば、それも納得する。その久保利がトレードマークのど派手なスーツを脱ぎ、和装で我々の前に登場した。果たして、その真意は。 高校、大学時代にアフリカ解放運動に肩入れをしていた久保利は、1968年に東京大学を卒業後、すぐに司法修習生とならず、解放闘争支援を兼ねてアフリカに渡った。大学を出たての若造が、いきなり弁護士になってもろくな仕事はできない、と思ったからだ。 シベリアから欧州を経由してアフリカに渡る。暗黒と呼ばれた大陸をあちこち回った後、船でパキスタンに入りインドで1カ月過ごす。そして香港を経て帰国した。半年ほどの世界放浪の旅だった。その途中、アフリカやインドで死を覚悟したことは、一度や二度ではなかった。この自分探しの旅は、その後の弁護士活動