2014年10月13日のブックマーク (2件)

  • 「輝きの向こう側」は希望ではない――問題作としての劇場版アイドルマスター - 長椅子と本棚2

    ちょっと乗り遅れ気味ですが、先週プチ炎上があったようで。 俺は何故こんなにも劇場版アイマスが嫌いなのか:はっぱのブロマガ - ブロマガ 自分が「輝きの向こう側」を見られなかった事実がとても悔しかった:はっぱのブロマガ - ブロマガ やたらと批判されていますが、こういう感想を持つ人が出てくるのは当然だと思っています。しかし、それはあの映画、『輝きの向こう側へ!』が、駄作だったということを意味しません。そうではなくて、あの映画が非常に「尖った」作品であったということを示していると考えます。 あの映画がいかに尖っていたか、ハッピーな雰囲気と裏腹に、いかに重くるしいテーマを扱っていたかということについて、以前に一度書きました。 劇場版「アイドルマスター」感想:「輝きの向こう側へ」という副題の重みについて - 長椅子と棚 繰り返しになってしまうところもありますが、今日は、いかに尖っているかという視

    「輝きの向こう側」は希望ではない――問題作としての劇場版アイドルマスター - 長椅子と本棚2
    u-account
    u-account 2014/10/13
    作品の内容を決めるのは制作側であり、ファン同士の意思決定問題としてモデルを立てること自体徹頭徹尾誤っているのでナッシュ均衡も何もない。ゲーム論を使うなら制作側を加えて分析しなければ意味がない。
  • 劇場版アイドルマスターネタバレ感想補足:Famielli Mart - ブロマガ

    先ほど、turn-Kさんの放送におじゃましたのですが、そこで語ったことについて、少しまとめ&補足を纏めておこうと思います。 ①劇場版アイドルマスターは100%の人間が70点を出す映画だった 放送では、アイマスは経済である、という突飛な話をしました。 どういうことか、と言えば121分という限られた時間リソースを13人+7人で分けなければいけない。つまり、一人頭の時間は単純に考えればおよそ6分程度、ということになってしまいます。 ただ、一人ひとりを6分で描いても誰も得しない映画になるのは明白、どう割り振るか、というのが問題になってきます。 これはまさに、経済学の前提である「限られた資源を効率的に分配し、全体の効用(満足度)を高める」ということに一致します。 アイドルが200人近くに増えたアイマスで、どのアイドルにどれぐらいのリソースを投下するのか、というのは今回の劇場版だけでなく、今後アイマス

    劇場版アイドルマスターネタバレ感想補足:Famielli Mart - ブロマガ
    u-account
    u-account 2014/10/13
    第1にパレート最適性が問題なら(協力、非協力)(非協力、協力)もこれを満たす。第2に(協力、協力)はそもそもナッシュ均衡ではない。そのような均衡が実現しているのはモデルの立て方が誤っているからだ。