その人は、古川貞二郎さん、84歳です。 4月下旬と5月上旬に東京都内のオフィスを訪ねた時、少し緊張気味だった私を柔和な表情で出迎えてくれました。 手元には取材のためそろえてくれた資料やメモが。うわさどおり、実直な人柄がうかがえました。 霞が関のいわばレジェンドのような古川さん。まずその略歴を紹介します。出身は佐賀県。九州大学を卒業後、最初に勤めたのは霞が関ではなく長崎県庁でした。 しかし、すでに60歳を超えていた両親が働く姿を見て、老後に幸せに暮らせる社会を実現したいと考えた古川さん、一念発起して国家公務員試験に挑戦し合格。旧厚生省に入省し、厚生事務次官まで務めた後、官僚トップの官房副長官になりました。 支えた総理大臣は、社会党の村山富市氏、自民党の橋本龍太郎氏、小渕恵三氏、森喜朗氏、そして小泉純一郎氏の合わせて5人。
イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、クルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」による尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic 【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。 そして今、ある一つの国が崩壊した。 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって
日本テレビは、ラグビー人気が低迷した07年ワールドカップ(W杯)フランス大会から4大会連続で放送権を獲得した。9月開幕の日本大会では、日本戦を含む19試合を生中継する。「スポーツの日テレ」と呼ばれた民放の雄が、なぜ、ラグビーなのか? 「W杯と日本テレビの深イイ話」第1回は、チャレンジ精神。07年にスポーツ局のW杯チーフプロデューサーで現事業局長の今村司氏(58)に当時の思いを聞いた。 ◇ ◇ 12年前-。テレビ朝日が世界水泳、TBSが世界陸上、フジテレビが世界柔道など、他局が各競技の国際大会の放送権を獲得してカラーを押し出した。そんな中、日テレは06年第1回WBCを放送後に手放すこととなり「世界的イベント」を失った。今村氏は「『スポーツの日テレ』がなくなるという強い危機感があった。世界的な大会を模索して、その答えがラグビーだった」と思い返した。 70年代後半から90年代にかけて
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