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歴史と本に関するuboshiのブックマーク (3)

  • 2005-07-11

    id:border68さんよりトラックバックをいただいたので、mixiの日記より転載します。 今、ちくま学芸文庫から出た吉田満の『戦艦大和と戦後』(『tone』で魚雷氏が取り上げた古山高麗雄さんとの対話『書いても書いても書いても...』も収録されています)を読んでるんですが、戦争に行った世代というのは単に「敗戦」というカセがはまっているというだけでなく、現に目の前で家族や隣人を失っている。戦争末期の悲惨と理不尽を身をもって体験しているので、「とにかく戦前は悪」という戦後的なお題目にも、心情的に声高には反論できない(そうした苦しさは、先日の『朝生』見てても如実に感じました。その中で、とにかく「戦争は悪だった」という言質を取って、彼らの体験を安直に結論付けようとする若い女性に対して「平和などという雑駁な言葉ではなくて」と、毅然として制した池部良は格好よかった)。 だから、まずひたすら「真摯に反

    2005-07-11
    uboshi
    uboshi 2005/07/12
    「戦後の人間は自分の基準の無さはそのままに、戦前的なものを叩く~」
  • 『TONE』02号 - ぼうふら漂遊日記

    27日月曜発売になる『TONE(トーン)』02号(ユニバーサル・コンボ) http://www.toneunderground.com/の戦争特集に、「不関旗一旒 海軍二等兵曹笠原和夫」という一文を書きました。 日戦争映画を観ていて、ずっと引っかかっていたことがある。 どの映画の主人公も、はじめから最後まで戦争に反対する平和主義者か、あるいは、最初から最後まで、勇敢な兵士であるか、いずれにせよ、状況に関係なく、個人の態度に一貫性がありすぎることにずっと違和を感じてきた。 そうした個人のあり方を、有無を言わさず押し流してしまうところにこそ、戦争当の恐ろしさがあったはずなんじゃないかと。 笠原和夫の戦争映画は、ある人間が戦争や軍隊に「染まっていく」過程が、「一人称で」語られている、当に稀有な映画だ。 それは、彼が自ら海兵団に志願し、遠くない未来の死を覚悟した人間だったにも関わらず、敗

    『TONE』02号 - ぼうふら漂遊日記
  • 今日は吉田豪ちゃんみたいなことを - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    毎月第三日曜日にエルセリートの日系料品「八百屋さん」の前で開かれる日の古市に行った。 ここイーストベイに住む日人や日からの留学生が寄付したを売っているのだが、とにかく落合信彦のが多いので笑う。 ただ、どれも70〜80年代までのだ。 十年以上前、日からアメリカに来る人たちの間でノビーの影響力がいかに強かったのかがわかる。 さて、今回見つけたのは、1970年9月発行の三島由紀夫対談集『尚武のこころ』(定価400円)。 これは今は文庫か何かで読めるのかな? 版元は日教文社。ここは「生長の家」(国粋主義的な宗教団体)の出版社。 対談相手は、小汀利得(日経済新聞社社長で国家公安委員。ビートルズに武道館を使わせてたまるかと発言したのがいちばん有名か)、中山正敏(日空手協会主席師範。大山館長の宿敵)、鶴田浩二、高橋和巳、石原慎太郎、林房雄、堤清二(セゾングループ会長)、野坂昭如、

    今日は吉田豪ちゃんみたいなことを - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
    uboshi
    uboshi 2005/06/20
    三島由紀夫と石原慎太郎
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