udosuのブックマーク (128)

  • 東京だけのできごと。

    昼休み残り10分。僕は「トイレ」と言い残すと友達たちから外れた。教室の出入り口で振り返ると、4人は楽しそうに話をしている。さっきまで僕もそうだった。 個室に入ると携帯電話を手にした。タッチパネルを操作してTwitterのタイムラインを見る。まったくかみ合ってない発言が並ぶ。僕がフォローしているというだけで表示されている、絶対に僕に向けられていない言葉たち。 この瞬間に僕は東京につながっている。恥ずかしさを堪えて言えば東京にいる気持ちになる。この和歌山の片田舎でも。いやだからこそ錯覚できるのだろう。この中に知り合いは一人もいない。東京の中に和歌山はいらないから。 最初は有名人をフォローした。やはりTwitterを使う新進のクリエイターは東京ばかりだ。次にその人のフォローイングをフォローした。これで僕のフォローイングは60人くらいに増えた。 うれしいことにそのうち数人がフォローし返してくれた。

    東京だけのできごと。
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    udosu 2010/07/08
  • たったひとつの、冴えないやりかた - 傘をひらいて、空を

    どうやって治したんですかと彼女は訊いた。白い顔に宿命的な隈をはりつけ、どこかちぐはぐな印象の服装をした大学生だった。 十年前に卒業した研究室をたずね、恩師への相談ごとを終えてお茶を飲んでいると、もうちょっとここにいてと恩師が言う。会わせたいゼミ生がいてね、話したらきっと役に立つ先輩が来るからおいでって言ってあって、だから待ってて。 私と同じ業種を希望している学生の進路相談だろうと思っていると、顔色の悪い女の子がやってきた。自分のからだの半径一メートルを常に走査しているみたいな女の子だなと私は思った。通りいっぺんの自己紹介と無難な世間話を済ませると、恩師が学生のほうを向いて言う。 ほらあの、評価されるとだめになっちゃうっていう話、どうしてかわからないけど何か区切りになることをやり遂げたりするとそのあと具合悪くなっちゃうって前に言ってたよね、あの話がしたくてさ、俺ちょっと調べたんだよ昔、そうい

    たったひとつの、冴えないやりかた - 傘をひらいて、空を
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    udosu 2010/07/05
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>
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    udosu 2010/06/14
  • 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。

    いろいろと窮屈そうに生きているあの人のために、 今は少し気楽に生きている自分のロジックを思いつくままにアウトプットしてみようと思った。 偉そうに見えても、笑って許して。 「ちょっと」を毎日。 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。 とにかく結果を焦らない。落ち着けって。 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。 ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。 ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。 だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。

    1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
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    udosu 2010/06/14
  • この夜を生きのびよう。

    最近知ったとあるはてなーさんの、書くものが素敵だなあと思い、さかのぼって読んでいたその方のポストやその他から、いくつか思うところがあった。あまり他人には話していないことなので、anonymousで書く。 わたしには両親と弟がいる。母はわたしが生まれた直後から精神分裂症を患っていた。(あえて精神分裂症と書く。このころはそう呼びつけていたので)小学校低学年までは、母との生活は(今にして思えば)まったく筋が通らないことばかりで、いつも、なぜここで怒られるのだろう?とか、なぜ今日はあんなにものすごく褒められたのだろう、とか、謎ばかりだった。生育環境が特殊だったせいも幾分かはあるのだろうが、わたしはとにかく人と違ったことをしたがる子どもだった。それが物事を杓子定規に進めたがる母の気にいらなかったらしく、なにか思いついて喜び勇んでぶちあげると、必ずひどくしかられた。10歳くらいまでは、ひきずりまわされ

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    udosu 2010/06/12
  • ブログに現れる「私」という症候 - ohnosakiko’s blog

    「あれはひとりごとなんです。ほっといてください」 先日知人から、興味があればどうぞということで三つの文章がPDFで送られてきた。雑誌『日語学』に連載されている千野帽子の「のしっぽ」の第8信〜10信。 千野帽子は私の認識では、少女文化やそれと関連する近代文芸について、ユニークで丁寧な論評をしている書き手である。 知人のメールによると、「ブログなどでよく目にする、通りすがりの人に批判されて『あれはひとりごとなんです。ほっといてください』とキレる未熟な反応」の「原因(らしきもの)についての考察」とのこと。「大野さんよくそういうのに巻き込まれていませんか(笑)?」。そ、そですか‥‥。 早速読んだ。興味深く、そしてちょっと耳の痛いところもある内容だった。 ブログに見られる現象を、少女漫画の形式と結びつける着眼点が面白い。連載三回分の参照項は、ざっと拾っても大塚英二、吉隆明、高橋留美子、筒井康隆

    ブログに現れる「私」という症候 - ohnosakiko’s blog
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    udosu 2010/06/01
  • もちろん「好きじゃなくなったから、相手も好きじゃなくなった」が全てじ..

    もちろん「好きじゃなくなったから、相手も好きじゃなくなった」が全てじゃないよ けど、絶望は相手が離れる事じゃなくて、こちらが離れてしまう事だとも思うよ 何と出会っても楽しくないとは言わないよ けど、その先に何があるかが頭に浮かぶ 当に好きなものは、絶望を孕まない、ずっと好きでいられるらしい でも、好きなものの内、全てが当なわけがないし、判別もつかない 自分が絶望だと思うのは、必ずいつか「好き」がなくなってしまう事 「好き」がなくなれば関係は崩れる、少なくとも自分にとっては 好きが始まれば、必然的に終わりを孕む けど、自分で自分の好きを制御できない 生みだす事も消す事も維持することも出来ない だから「好きって絶望だよね」

    もちろん「好きじゃなくなったから、相手も好きじゃなくなった」が全てじ..
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    udosu 2010/05/20
  • お母さんと私と弟2人 その2

    前回 http://anond.hatelabo.jp/20090430232820 だけど当時は「別によそはよそ、うちはうち」と思ってたので特に深く考えることもなかった。 それよりもセックス!セックス!だった。 とにかく私は周りにいる優しくて明るい男の人とセックスができればそれで大満足だった。 成人式は着物を着るお金も帰省代ももったいないので帰らなかった。 その旨を伝えても、母は何も言わなかった。 そうしてひたすらセックスに励んでたら、就活の時期になった。 とりあえず自己分析なるものをしてみたら、ダメ人間という結論が出た。 自己分析をやめた。 履歴書の長所欄がなかなか埋まらなかった。 他人に聞いてみたら9割の人に「優しいところ」と返事が返ってきた。 私は自分が優しいなどと思ったことは一度もなかった。 短所欄はいくらでもスラスラ書けた。 自己PRが1行も書けなかった。ないものを書くのが苦痛

    お母さんと私と弟2人 その2
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    udosu 2010/05/20