マルクスがヘーゲルの弁証法について、「神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」と言ったことはよく知られている。 坂口安吾が「小西行長」で書いたことは、マルクスの言葉をもじって言えば、こういうことではないだろうか。「秀吉の朝鮮出兵という非合理的な外皮のなかに合理的な核心(海外貿易)を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」。 だが、私はやはりそこに何か引っかかるもの、どこか釈然としないものを感じる。たとえば近代日本の侵略戦争について、次のように主張することは可能だろうか。「近代日本の侵略戦争という非合理的な外皮のなかに合理的な核心(東アジア諸国の近代化・資本主義化)を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」。 たしかにそういう風にひっくり返したい人たちは存在していて、「歴史修正主義者」と呼ばれる人たちは「合理的な核心