ta-nishi.hatenablog.com リンク先の文章には、弱者男性論者は社会適応に対してあまりにも潔癖すぎる、といったタイトルになっている。が、タイトルどおりの内容ではなく、 ・筆者自身の社会適応に対する潔癖性の話 ・過去の脱オタクファッション (略して脱オタ) の話 ・過去の脱オタと最近のいわゆる恋愛工学の近しさの話、それと就活の話 が混じっている。議論としてはゴチャゴチャしているが、個人ブログの述懐としては良さがあって、こういう文章が読めるのが個人ブログだったよね、などと思った。 釣られて私も個人ブログっぽい述懐をしようと思う。脱オタが語られていた頃に感じていた小さな違和感を出発点として。 脱オタする人は何を望み、非モテ論者は何を怖れていたのか 90年代後半から00年代にかけて、脱オタなるものがネットの小さなムーブメントになったことがあった。脱オタについて詳しく知らなくても、
正直、女から見ても男性に対する偏見とか差別とかがまったくないとは言えないと思うし、女側にもアップデートが必要なのは否定しない。 具体的にはこういうのはそろそろやめるべきと感じてる。 男がモテなかったりモテなさそうなこと、私生活の趣味、身体的特徴などをネタにしたり公言する 「付き合ったことあるの?」など異性体験について揶揄するような聞き方をする 婚活アプリで収入や学歴などで足切りするようなことを公言する 従来型の男らしさを過度に称揚するような表現 女はおごってもらって当たり前、養ってもらって当たり前みたいな認識を公言する 「XXくんはXXくんと付き合っちゃえばいいじゃん」的なやおいいじり(オタク女はそういうネタをやりがちだが、本人の尊厳も損ねるし、間接的に同性愛者の尊厳も損ねていると思う) 力仕事や汚れ仕事、やり手がないリーダー職を男に押し付ける(PTAとか町内会とかですごいある)それが「弱
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く