1966年、人文書院と慶応大の共同招へいで来日したサルトル(中央左)とボーボワール(中央右)。奈良の観光に、人文書院2代目社長、渡辺睦久(左端)と翻訳者の朝吹登水子(右端)が同行している=人文書院提供 戦後、日本に実存主義ブームを巻き起こした出版社の源流は霊術団体だった――。フランスの哲学者サルトルの全集刊行を1950年、国内でいち早く始めた「人文書院」。その前身である「日本心霊学会」の実態が近年の調査で明らかになってきた。22年に京都で同学会の出版部として出発し、今年で創業100年。社員の間でもうわさ程度にささやかれ、長く封印されていたという“裏歴史”をひもときたい。 事の始まりは2013年、京都市内にある創業者、渡辺久吉(1885~1975年)旧宅の土蔵から機関紙「日本心霊」の束など大量の関係資料が見つかったことだった。「これは絶対に歴史的な価値があると思いました」。久吉の孫で、発見し